「北斎の絵」と聞いて、まず思い浮かぶのは、あの大きな波ではないでしょうか。
でも、あの波の絵をじっくり見たことはありますか。逆巻く波のあいだ、画面のずっと奥に、驚くほど小さな富士山が、ぽつんと立っているんです。もしかしたら主役は、波ではないのかもしれません。1

ちなみにこの波、ただの海ではありません。翻弄されている三艘の舟は、房総から江戸へ魚を運ぶ「押送船(おしおくりぶね)」。乗っているのは、合わせておよそ三十人です。波の高さは十メートルを超えるとも言われ、近年の研究では津波ではなく、突然おそう「一発大波」を描いたものと考えられています。飛び散る飛沫は、まるで富士に降る雪のよう。北斎は、荒れ狂う一瞬と、動かない富士とを、わざと対比させたのです。1
なぜ江戸の人は、富士に憧れたのか
そもそも、なぜ北斎はこれほど富士を描いたのでしょう。日本人にとって富士山は、ただの高い山ではありませんでした。もっとも古い物語とされる『竹取物語』の昔から、富士は不老不死につながる神聖な山。江戸時代には、富士を神とあおいで参拝する「富士講」という信仰が大流行していました。富士は、みんなの憧れだったのです。
この夏、すみだ北斎美術館に、北斎と広重——名所絵を代表するふたりが描いた「富士」が並びます。同じ山を、二人はまったく違う眼で見ていました。見比べられる機会は、そう多くありません。会場での見どころを、行く前に少しだけご案内します。
北斎という、とんでもない絵師
ところで、北斎という人はなかなかの変わり者でした。90年近い生涯で、画号(絵師としての名前)を三十回以上も変え、晩年には「画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)」と名乗っています。絵に取り憑かれた老人、という意味です。生涯に遺した作品は三万点以上。あの富士のシリーズを手がけたのも、じつは七十歳を過ぎてからでした。8
北斎の富士は、いつも「劇」だった
その北斎の富士は、いつもどこか「劇」でした。富士はたいてい、何かと組み合わされます。逆巻く波と。あるいは《遠江山中》では、画面を斜めに貫く巨大な角材と。材木を挽く職人、鋸を研ぐ男、焚き火をする少年、赤ん坊を背負う母。山の仕事場のにぎわいの向こう、柱がつくる三角形の隙間から、富士がちょこんと顔をのぞかせます。この「枠取り」の技が、手前の力強い動きと、遠くの静かな富士とを、みごとに対比させるのです。焚き火の煙には、当時の浮世絵には珍しい西洋風の陰影まで試されています。2

天気と色でも、北斎は劇を演じます。画面いっぱいに堂々と立つ《凱風快晴》、通称「赤富士」。かたや、晴れた頂の下を黒い稲妻が走る《山下白雨》は「黒富士」とも呼ばれます。この二枚と《神奈川沖浪裏》が、シリーズ屈指の傑作「三大役物(さんだいやくもの)」。ちなみに「凱風」とは、中国の古典『詩経』に由来する“夏に吹く穏やかな南風”のこと。題名ひとつに、初夏のすがすがしさが込められているのです。34


遊び心も忘れません。《駿州大野新田》では、牛が背負った柴の束の形を、富士の稜線とそっくりに描いています。気づけば、葦の茂る沼から五羽のサギが飛び立ち、そこが湿地であることをそっと教えてくれる。荒々しさから遊び心まで——北斎の富士は、本当に振れ幅が大きいのです。5

一枚の波が、世界を変えた
そしてもうひとつ。あの波の深い藍は、当時渡来したばかりの「プルシアンブルー」、通称「ベロ藍」でした。それまでの版画にはなかった鮮烈な青が、絵の印象を一変させます。やがて北斎の波はヨーロッパへ渡り、ゴッホやモネたちを驚かせました。日本の版画が西洋美術を揺さぶった「ジャポニスム」——その象徴が、この一枚なのです。
広重の富士は、「暮らし」のなかに
さて、その隣に並ぶのが、広重の富士です。広重もまた、面白い経歴の持ち主でした。江戸の火消しの家に生まれ、十五歳で絵師の門を叩き、師の死をきっかけに風景画へと進みます。やがて「風景の広重」と呼ばれ、雨や雪、霧や夕暮れといった、うつろう空気を描く名手となりました。その最晩年の大作が、《名所江戸百景》です。9
北斎が富士を「事件」にするなら、広重の富士は、暮らしのなかにそっと佇んでいます。たとえば《目黒新冨士》。じつはここに描かれているのは、本物の富士ではありません。江戸・目黒に築かれた、人の背丈ほどの小さな富士——「富士塚」です。文政2年(1819年)、近藤重蔵という幕臣が自分の屋敷に築いたもので、絵のなかでは富士講の人々でにぎわい、満開の桜が春の一日を彩っています。名所江戸百景の第二十四景。北斎が波や角材と富士を組み合わせたように、広重は富士を、花見と信仰に沸く庶民の暮らしのなかに置いたのです。67

二人の眼で、同じ富士を
面白いのは、二人の富士を見比べているうちに、いつのまにか自分が「富士を探す目」になっていること。次の一枚では、富士はどこにいるのでしょう。どんな顔をしているのでしょうか。
刷りの藍の深さも、紙の質感も、あの「小さすぎる富士」も、複製ではなかなか伝わりません。劇の富士と、暮らしの富士。二人の眼を前にして、自分の見え方がどう変わるか——それは、会場でしか確かめられません。






