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歌川広重が安政4年(1857年)に描いたこの一枚は、江戸末期という激動の時代に生きた人々の、ごく穏やかな一日を切り取っています。1 画面手前に広がる満開の桜。広重が得意とした鮮やかな色彩は、当時ヨーロッパから輸入されたばかりの新顔料「ベロ藍」によって支えられており、その表現力は後の印象派の画家たちをも魅了しました。2,3 中央に盛り上がるなだらかな緑の丘、これが「目黒新富士」と呼ばれる築山です。北方探検家としても知られる近藤重蔵が、自身の別邸に築いたものでした。4当時、富士山を模した塚を詣でる「富士講」は庶民に広く親しまれており、この丘はその信仰と行楽の場として賑わいました。5 丘の頂に立つ小さな人影をご覧ください。彼らが見上げる先には—— 遠く雪を頂いた本物の富士山が、静かに浮かんでいます。5築山と本山、二つの富士を一枚に収めた構図こそ、広重が見せたかった江戸の「見立て」の粋です。6
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