Menu
美術館展覧会
Nikolai Astrup
Nikolai Astrup

Artist

Nikolai Astrup

ニコライ・アストルップ

ノルウェー, 1880–1928

ニコライ・アストルップは1880年8月30日、ノルウェーのフルーヤ島カルヴォーグで生まれ、農業を主要産業とするヨルステルのオールフスで育ちました 110。教区牧師であった父は息子が司祭になることを望んでいましたが、アストルップは1895年から通ったトロンハイム大聖堂学校でラテン語の試験に失敗し、美術の道を選びました 1。1899年にクリスチャニアの王立デザイン・アカデミーに入学してハリエット・バッケルの絵画学校で学び、1901年から1902年にかけてはパリのアカデミー・ジュリアンやクリスチャン・クローグが教えるアカデミー・コラロッシで研鑽を積みました 1。若き日は経済的に困窮し、キャンバスを買う余裕がなく古いズボンの布に絵を描くこともありましたが、オラフ・ショウなどの支援を受け、1905年以降はクリスチャニアやベルゲンで主要な展覧会を開催しました 12。1907年に結婚したエンゲル・スンデは彼に大きなインスピレーションを与え、1913年には8人の子供とともに、イェルストラヴァトネット湖畔のサンダルストランド(現在のアストルップ・トゥーネット)へ移住しました 1210

アストルップは、西ノルウェーの瑞々しい風景を描くために強烈で豊かな色彩を好み、自然と人間環境の親密な相互作用を大胆な線で表現しました 1。彼の様式は「新ロマン主義」や「ナチュラル・ナイーヴ」と称されます 1。この「素朴派(ナイーヴ)」のスタイルは、遠近法の規則に従わない平面的な描画を特徴としています 11。彼は独自の「国民的な視覚言語」を確立しようと努め、民間伝承の「トロール」をモチーフに描くほか、自身の庭の木をトロールに見えるよう剪定しました 12。こうした活動は、建築や社会精神において「国民的様式」を目指したノルウェーのナショナル・ロマンティシズムの運動とも重なるものです 3。厳格なキリスト教家庭の抑圧的な環境に反発し、異教的な要素に惹かれた彼の芸術は、1905年のスウェーデンとの連合解消を経てノルウェーが独立し、国家の誇りが高まった時期に大きな注目を集めました 24。油彩画に加え、木目に沿って彫る木版画の分野でもノルウェーにおける先駆的な役割を果たし、現在はベルゲンのKODE美術館に専用の展示室が設けられています 129。彼は生涯を通じて喘息と結核に苦しみ、1928年1月21日、肺炎のため47歳の若さでこの世を去りました 1

出典は末尾の一覧を参照。

特集:ニコライ・アストルップとは

作品(8

年表

1880

8ノルウェーの画家ニコライ・ヨハネス・アストルップが誕生。1

8ニコライ・アストルプは1880年8月30日、ノルウェーのブレンマンゲルにあるカルヴォーグで生まれました。2

1883

牧師の父の転任に伴い、自然豊かなヨルステルの牧師館へ移住。1

1892

12歳で初期の代表作となる油彩画『月光の牧師館』を制作。1

1893

父の意向により、神学の道へ進むための古典言語教育を受け始める。1

1895

1895年から神学校に進むためトロンハイムへ送られたが、そこで美術館に通いノルウェーの近代画家たちの作品に触れた。3

1897

ヨルステルへ帰郷。弟妹の家庭教師を務めつつ初期作品を制作。1

1899

1899年から1901年にかけて、クリスチャニア(現在のオスロ)にあるハリエット・バッケルの絵画学校で学びました。2

8オスロの王立美術学校に入学。後にハリエット・バッケルに師事。1

1901

パリ留学中、アンリ・ルソー、モーリス・ドニ、ポール・ゴーギャン、および葛飾北斎の作品を研究した。1

1901年から1902年にかけてパリに滞在し、アカデミー・ジュリアンやアカデミー・コラロッシで研鑽を積みました。2

実業家オーラフ・ショウは、1901年にアストルップのデンマーク、ドイツ、フランスへの留学費用を援助した。1

1902

パリ留学から帰国。ヨルステルの風景を独自の色彩で描く活動を開始。1

1903

1903年から1905年にかけて、ヨルステルの風景画を数多く制作した。1

木版画の技法研究を開始。ノルウェーにおける同分野の先駆者となる。1

1905

1905年、クリスチャニアの画商ブロムクヴィスト・クンストハンデルで、絵画と初期版画の展示を行った。1

色彩の傑作と評される代表作『ヨルステルの農家の庭』を完成。1

1905年の展覧会後、エイリッフ・ペーテシェンの推薦により、ノルウェー国立美術館が作品『ヨルステルの高床式倉庫』を買い上げた。1

1906

エンゲル・スンデと出会い、代表的連作『夏至祭の焚き火』に着手。1

1906年に重い結核を患ったが、1909年春に非感染性であると診断され、通常の生活と制作活動に戻った。1

1906年秋、クライヴァフィエレット山を描くためショースネスフィヨルドへ赴き、アンダース・スンデの農場にある2階の部屋を制作場所として借りた。1

1906年から1912年にかけて、明るく鮮やかな色彩を用いた夏至祭の焚き火の情景を主題とする作品を複数制作した。1

1907

1907年にエンゲル・スンデと結婚し、彼女はアストルプにとって大きなインスピレーションの源となりました。4

121907年12月8日に最初の結婚予告が行われた後、同年12月23日にエンゲル・アンダースドッテル・スンデと結婚した。1

1908

11908年1月下旬、アストルップはジョン・コンスタブルの作品を鑑賞するため、奨学金を利用してロンドンへ向かった。1

41908年4月のベルゲン美術協会の春の美術展に、63点の油絵、数点の木版画、1点の水彩画を出品した。1

1910

助成金によりドイツを再訪。キュビスムなど最新の近代美術を視察。1

Kvennavatn
The white Horse in Spring
1911

長男ニコライ・エギルが誕生。以後、計8人の子供を授かる。1

1911年にハンス・E・キンクが、雑誌『Kunst og Kultur』においてニコライ・アストルップに関する論考を執筆した。1

1912

ヨルスター湖沿いのサンダルストランドに農地を取得し拠点を移す。1

主要な画題の一つである代表作『キンポウゲの夜』を制作。1

Bonfire celebrating Midsummer Night
1915

1915年に木版画『Grovær』(生育日和)を制作した。1

1920

芸術的功績が広く認知され、地元ヨルステルの共同体で名声を得る。1

1921

美術誌において、作品に見られる装飾的な特質や技法が高く評価される。1

1922

妻を伴い、南欧から北アフリカを巡る大規模な写生旅行に出発。1

12ヴェネツィアでマラリアに罹患。回復後、ナポリやシチリアを巡る。1

1923

1923年に妻エンゲルと共にアフリカへの長期旅行から帰国した際、地元の青年団によって歓迎のパーティーが開かれた。1

1アルジェリアに滞在。現地で息子が誕生し、数ヶ月の旅を続ける。1

8欧州・北アフリカ旅行から帰国。健康状態が一時的に安定する。1

1925

1925年に、地元コミュニティから表彰を受けた。1

Spring in Jølster
1926

作家ハンス・キンクへの手紙で、自身の色彩表現の手法を詳述。1

Spring Evening in Jølster
1928

オルフスの古い墓地に埋葬され、その葬儀費用は地元のイェルステルの市民たちによって負担された。1

フォルデの医師トリグヴェ・ビーダルは画家の友人で、肺炎を発症する直前のアストルップの動静を記録している。1

妻エンゲルは夫の没後、カウパンゲルのアンブレ・ゴードで美術を学び、テキスタイル・アーティストとして活動した。1

1死因は肺炎であり、長年の喘息、結核、気管支炎によって肺が弱っていたことが致命的な影響を及ぼした。1

11928年に没した際、21年間連れ添った妻エンゲルとの間に8人の子供がいた。1

11928年1月21日、肺炎のため47歳の若さでノルウェーのフェルデにてこの世を去りました。2

出典

  1. [1]Per A. Holst『ニコライ・アストルップ ― ヨルステル出身の色彩豊かな画家』(Per A. Holst Forlag・2008)
  2. [2]Nikolai Astrup - Wikipedia
  3. [3]ja.wikipedia.org
  4. [4]Nikolai Astrup Paintings, Bio, Ideas | TheArtStory
  5. [5]Nikolai Astrup — 公式カタログ・レゾネ

言葉

本人が書いた言葉と、同時代の証言。すべて出典つきです。

あなたは私がパリへ行くべきだとお考えのようですが、私はもう行ったことがあります。フランスの芸術は知っていますし、率直に言って本当にうんざりしているのです。

友人への手紙(ローゲ、213ページ)/Per A. Holst『ニコライ・アストルップ』(2008)

これらすべては、ひどい戯言のように聞こえるだろう。色彩に対する感情のように個人的なものに、確固たる価値を設定することなどできない。私にとって色彩は時が経つにつれてますます不可解なものになっていく。

グロエルセン、95〜96頁/Per A. Holst『ニコライ・アストルップ』(2008)

エイリフ・ペーテルセン風景画家

長年、私、そして私と共に多くの者が雨を描こうと試みてきた。そこへアストルップが現れて、ただ雨を降らせたのだ!

ロムスロ、36ページ/Per A. Holst『ニコライ・アストルップ』(2008)
Nikolai Astrupの言葉をすべて読む

この作家のキュレーション

この作家を読む

この作家が出品する展覧会(1