
Artist
Albert Gleizes
作品(16)
収穫物の脱穀
1912
The Tree
1910
L'Homme au hamac (Man in a Hammock)
1913
Composition for "Jazz"
1915
Le Chemin, Paysage à Meudon
1911
The Publisher Eugène Figuière
1913
Harvest Threshing
1912
Football Players
1912
La Chasse
1911
Woman with Phlox
1910
On Brooklyn Bridge
1917
Passy, Bridges of Paris
1912
The Bathers
1912
Man on a Balcony
1912
Portrait of Jacques Nayral
1911
Portrait of an Army Doctor
1914
年表
1881年パリ生まれ。テキスタイルデザイナーの父と、ローマ賞受賞者の画家を叔父に持つ芸術的な環境で育ちました。独学で絵画を始め、初期はピサロの影響を受けた印象派的なスタイルで描いていました。1
1906年、芸術家たちの自給自足コミュニティ「アベイ・ド・クレテイユ」を創設。商業主義から離れ、詩人や音楽家と共に創作に没頭する理想郷を目指しましたが、資金難によりわずか2年で解散しました。1
1908年頃、野獣派の影響を経て、自然の形態を単純な幾何学的形状に還元する「プロト・キュビスム」へと移行。セザンヌよりもポン=タヴァン派に近い、構造的なリズムを重視する作風を確立しました。1
1910年頃から、ル・フォコニエのスタジオでメッツァンジェやレジェらと定期的に会合。詩人のアポリネールらも交え、色彩よりも「形態の探求」を重視する新たな芸術のあり方を議論しました。1
1911年のアンデパンダン展「41号室」で、メッツァンジェらと共に作品を展示。これが大衆にキュビスムが知れ渡るきっかけとなりましたが、当時は「幾何学に無知な者たち」と激しい非難を浴びました。1
1912年、ジャン・メッツァンジェと共に世界初のキュビスム理論書『デュ・キュビスム(キュビスムについて)』を執筆。運動の正当性を理論的に裏付け、後世の芸術家たちに多大な影響を与えました。1
第一次世界大戦中を含む4年間をニューヨークで過ごし、アメリカにモダンアートを浸透させる重要な役割を果たしました。独立芸術家協会の一員としても活動し、現地の芸術シーンを刺激しました。1
1920年代半ばから30年代にかけては、執筆活動に情熱を注ぎました。『絵画とその法則』などの著作を通じて、自身の芸術哲学や造形的意識の変遷を理論化し続けました。1
抽象芸術の国際的なグループ「アプストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)」の創設者の一人であり、ディレクターも務めました。キュビスムから抽象絵画への橋渡し役として重要な足跡を残しました。1