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Konstantin Savitsky

Artist

Konstantin Savitsky

作品(3)

年表

1844

1844年ロシアに生まれたサヴィツキーは、少年時代に両親を相次いで亡くす悲劇に見舞われます。親戚に引き取られラトビアへ移住しますが、幼少期から抱いた絵画への情熱が消えることはありませんでした。1

1862

1862年に帝国芸術アカデミーへ入学。そこでレピンやシーシキン、彫刻家のアンコトリスキーら、後のロシア美術界を牽引する巨匠たちと出会い、互いに刺激を受けながら自身の芸術性を磨き上げました。1

1870

アカデミー卒業後、サヴィツキーは「移動派」の一員となります。当時の伝統的なアカデミズムに反旗を翻し、ロシアの現実社会や労働者の姿をありのままに描くリアリズムの道を追求しました。1

1871

アカデミー在学中からその才能は際立っており、1871年の作品『カインとアベル』では金メダルを受賞しました。この初期の成功が、後の輝かしいキャリアと独自の芸術スタイルの確立へと繋がっていきました。1

1874

代表作の一つ『鉄道の修理』は、当時のロシア美術において労働階級の生活を真正面から描いた先駆的な作品です。社会の底辺で働く人々の力強さと苦悩を、克明な筆致でキャンバスに刻みました。1

Repair work on the railway
1888

大作『戦争へ』は、完成までに実に10年もの歳月を費やした渾身の一枚です。戦地へ向かう兵士とその家族の別れを壮大なスケールで描き出し、戦争がもたらす悲哀を静かに、しかし力強く告発しています。1

To War
1889

有名な『松林の朝』は、実はシーシキンとの共作です。サヴィツキーは愛らしい子熊の親子を描きましたが、後に署名を抹消したため、現在はシーシキン単独の作として広く知られることになりました。1

1897

1897年、かつて学んだ帝国芸術アカデミーの正会員に選出されます。反体制的な「移動派」として活動しながらも、その卓越した技術と功績は、最終的にロシア美術界の最高権威からも認められました。1

出典

  1. [1]en.wikipedia.org