
Artist
Karl Bryullov
年表
1799
1799年、サンクトペテルブルクの芸術家一家に生まれました。父は木彫師で、一家はフランスのユグノー派をルーツに持っています。幼少期からイタリアへの強い憧れを抱いていました。1
1809
1809年から1821年まで帝国芸術アカデミーで学びましたが、当時の主流だった古典主義のスタイルには完全には馴染めず、独自の感性を磨いていきました。1
1822
アカデミー卒業後、1835年までイタリアのローマに滞在しました。当初は肖像画や風俗画を手がけていましたが、歴史画の分野でその才能を大きく開花させることになります。1
1830
代表作『ポンペイ最後の日』は、劇的なアクションとロマン主義的な照明、彫刻のような肉体表現を融合させた大作です。この作品で彼はヨーロッパ全土に名を轟かせました。1
1833
『ポンペイ最後の日』は、詩人のプーシキンや作家のゴーゴリから、ルーベンスやヴァン・ダイクの傑作に匹敵すると絶賛され、ロシア美術の至宝と見なされました。1
1836
アカデミーで教鞭を執っていた時期、新古典主義の簡潔さとロマン主義の情熱を融合させた肖像画スタイルを確立。鋭い心理描写とリアリズムが特徴です。1
1849
聖イサアク大聖堂の天井画制作中に健康を害しました。医師の勧めでロシアを離れ、最後は憧れの地イタリアのローマ近郊でその生涯を閉じました。1