
Artist
Jacques-Louis David
作品(8)
年表
1748
顔の腫瘍のために言葉をうまく話せなかったダヴィッドは、幼少期から絵を描くことに没頭しました。授業中も常に教師の椅子の後ろに隠れてスケッチをしていたというエピソードが残っています。1
1774
若き日の彼は、権威あるローマ賞を3度逃した絶望からハンガーストライキを決行しました。4度目の挑戦でようやく受賞を果たし、イタリアへ留学したことが彼の芸術の決定的な転機となりました。1
1775
イタリア滞在中、彼は古代遺跡やルネサンスの巨匠を熱心に研究し、12冊ものスケッチブックを埋め尽くしました。これらは、彼が生涯を通じて作品を構成する際の重要なモデルブックとなりました。1
1780
ダヴィッドは、ロココ様式の軽薄さから離れ、古典的な厳格さと道徳性を重視した新古典主義を確立しました。この様式はアンシャン・レジーム末期の社会情勢と共鳴し、時代の主流となりました。1
1784
1789
フランス革命期にはロベスピエールの友人として政治に深く関わり、「芸術界の独裁者」として君臨しました。革命の理想を掲げた『マラーの死』などの傑作は、当時の政治的緊張を今に伝えています。1
1804
ナポレオンの首席画家となった彼は、ヴェネツィア派のような温かみのある色彩を取り入れた「アンピール様式」を展開しました。皇帝の威信を象徴する壮大な歴史画を数多く手がけています。1
1816
ナポレオンの失脚と王政復古の後、ダヴィッドはブリュッセルへの亡命を余儀なくされました。彼はフランスへの帰国を拒み、亡くなるまで異郷の地で制作と後進の指導を続けました。1