
Artist
Abanindranath Tagore
年表
1871年、カルカッタの名門タゴール家に誕生。詩人ラビンドラナートの甥であり、一族の芸術的環境の中で育ちました。後に「インド近代絵画の父」と称される重要な役割を果たすことになります。1
初期は西洋人画家からパステル画や油彩画を学びましたが、次第に西洋の写実主義を「物質主義的」として拒絶。インド独自の精神性を表現するため、伝統的な技法への回帰を提唱しました。1
カルカッタ美術学校の副校長E.B.ハヴェルと協力し、美術教育の改革を推進。ムガル絵画の様式を近代化させることで、西洋モデルに依存しない新しいインド美術のあり方を模索しました。1
岡倉天心や横山大観といった日本の文化人と交流。東洋の精神性と芸術文化を融合させた「汎アジア的」な芸術伝統の構築を目指し、日本の技法も自身の作品に取り入れました。1
1907年にインド東洋芸術協会を設立し、ベンガル派を創設。イギリス主導の美術教育に対抗し、インドの歴史や神話に根ざした「スワデシ(国産品愛用)」精神を芸術の世界で実践しました。1
ロンドンを拠点とする画家ウィリアム・ローゼンスタインと深い親交がありました。この関係が、叔父ラビンドラナートのノーベル文学賞受賞や、自身の芸術が西洋で知られるきっかけとなりました。1
1930年に制作された『アラビアン・ナイト』シリーズは彼の最高傑作の一つです。物語を借りて、当時の植民地都市カルカッタの国際的な様相を独自の視点で描き出しました。1
1942年には、タゴール一族が設立したヴィシュヴァ・バラティ大学の総長に就任。晩年までインドの教育と文化の発展に尽力し、1951年にその生涯を閉じました。1
彼の作品の多くは、死後、家族によってラビンドラ・バラティ協会に寄贈されました。長年保管庫に収められていたため、その全貌と輝きが一般に広く知られるようになったのは比較的最近のことです。1