Menu
?

Vladimir and Rogneda

Anton Losenko
Date1770
Departmentcanvas
SourceWikipedia
画像出典Wikimedia Commons ・ パブリックドメイン

この作品について

描かれているもの

描かれているのは、ウラジーミルがログネダの父と兄弟を殺害し、彼女を強引に妻にするという凄惨な場面です。英雄の輝かしい勝利ではなく、暴力と悲劇に満ちた歴史の闇がキャンバスに刻まれています。[1] 画面構成は「平面的で密度が高すぎる」と一部で評されましたが、それがかえって登場人物たちの心理的な葛藤を際立たせています。演劇の舞台のような配置が、観る者を10世紀の悲劇へと引き込みます。[1]

技法と様式

本作の人気は凄まじく、18世紀末には実物大のタペストリーが制作されました。この豪華な織物はオーストリア大公への贈り物としてロシア国外へ渡り、国際的な外交の場でも一役買いました。[1]

背景と物語

ロセンコは本作で名声の絶頂に達し、アカデミーの学長にまで上り詰めましたが、わずか36歳で病死しました。本作は、ロシア歴史画の父と呼ばれた彼の、短くも輝かしいキャリアの到達点です。[1] 作者のロセンコはもともと宮廷合唱団の歌手でしたが、1753年に声を失ったことで画家に転身しました。この悲劇的な転機が、ロシア近代絵画の先駆者を生むきっかけとなったのです。[1] この作品は、ロセンコが「アカデミー会員」の称号を得るための試験作として描かれました。1770年に完成し、審査員全員一致の決定で、彼は見事ロシア絵画界の最高位に上り詰めました。[1] 詩人マイコフは、若くして世を去ったロセンコを悼み、「絵の中のログネダは、父の死よりも画家の死を嘆いているようだ」という詩を捧げました。作品の悲哀が画家の運命と重ね合わされたのです。[1] 本作はロシアの歴史を主題とした最初期の絵画の一つです。それまで聖書や神話が中心だったロシアのアカデミーにおいて、自国の歴史を描くことは極めて革新的で「新しい言葉」と称賛されました。[1] 18世紀後半、エルミタージュ美術館が所蔵していたロシア人画家の作品は、わずか2点のみでした。その両方がロセンコの作品であり、本作はそのうちの貴重な1枚として皇帝のコレクションを飾りました。[1] 絶賛された一方で、主人公ウラジーミルの描写には「英雄らしい情熱(パトス)が足りない」という批判もありました。伝統的な様式と、人間的な感情表現の狭間で揺れ動く過渡期の傑作と言えます。[1]