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Anton Losenko

Artist

Anton Losenko

作品(2)

年表

1753

7歳で宮廷合唱団に入団するも、変声期に声を失ったことで画家に転身。イヴァン・アルグノフに弟子入りし、才能を開花させました。1

1760

1760年にパリへ留学し、新古典主義の巨匠ジャン・レストゥーに師事。聖書を題材とした大規模な歴史画の制作に取り組み、技術を磨きました。1

歴史画の大家として知られる一方、肖像画でも優れた手腕を発揮。文化人のスマロコフなど、当時の知識階級の姿を生き生きと描き出しました。1

1766

ローマ滞在中にラファエロをはじめとするイタリア美術を深く研究。古典的な美学を吸収し、自身の洗練された新古典主義スタイルを確立しました。1

1770

ロシア帝国における歴史画の創始者の一人とされ、ロシア独自の歴史を主題とした壮大な絵画ジャンルの基礎を築き上げました。1

「ウラジーミル1世とログネダ」を制作し、ロシアの歴史を古典的な手法で描きました。この功績によりアカデミー会員と教授職を獲得しました。1

1772

1772年には帝国芸術アカデミーの学長に就任。若くしてロシア美術界の頂点に立ち、後進の育成とアカデミーの発展に尽力しました。1

画家のための教科書「人体比率の簡潔な解説」を執筆。この本は19世紀半ばまで、ロシアの美術教育における標準的な指針として重宝されました。1

指導者として、イヴァン・アキモフや彫刻家ミハイル・コズロフスキーなど、次世代のロシア美術を担う重要な芸術家たちを数多く育てました。1

1773

1773年、学長在任中に36歳の若さで急逝。その短い活動期間ながら、ロシア美術を中世から近代へと導く架け橋としての役割を果たしました。1

Farewell of Hector and Andromache

出典

  1. [1]en.wikipedia.org