

Portrait of d'Anne-Jules de Noailles
Hyacinthe Rigaudこの作品について
描かれているもの
公爵の胸元を飾るのは、1688年に授与されたばかりの聖霊勲章の青い帯です。当時のフランス貴族にとって、これ以上ない最高級のステータスシンボルでした。[1] 文筆家セヴィニェ夫人の手紙には、公爵が肖像画を完成させるために何度もリゴーの元へ通う様子が記されており、多忙な公爵の肖像画への執着が伺えます。[1] 背景に描かれた戦場のテントは、公爵が単なる宮廷貴族ではなく、前線で指揮を執る現役の武官であることを強調する象徴的な舞台装置として機能しています。[1]
技法と様式
1694年に公爵がカタロニア副王に就任すると、リゴーは助手を使って3点もの複製を急造させました。権力の拡大に伴い、肖像画の需要も急増したのです。[1]
背景と物語
1703年、公爵はリゴーの結婚契約の証人を務めました。画家と依頼主というビジネス上の関係を超え、二人は非常に親密な個人的信頼関係を築いていました。[1] 1691年、カタロニアでの軍事的成功を祝して188リーヴルで依頼されました。王の画家リゴーが、戦場での功績を称えるために描いた記念碑的な半身像です。[1] 1693年の2作目の肖像画は、フランス元帥への昇進を記念したものです。出世の節目ごとにリゴーに肖像画を依頼し、自らの栄華を公式に記録させました。[1] 1702年に制作された大型の複製画は250リーヴルと評価され、1691年の原画の価格(188リーヴル)を大幅に上回る価値がつけられるという逆転現象が起きました。[1] リゴーが貴族に列せられた際、公爵は自ら祝辞の手紙を送りました。地方総督という高位の貴族が画家の社会的地位向上を直接喜ぶのは、当時としては異例のことです。[1]
制作
画家リゴーと公爵は同郷のペルピニャン出身でした。この地縁が、宮廷でのリゴーの成功と公爵との30年以上にわたるパトロン関係の礎となりました。[1]