名所江戸百景 目黒新冨士
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見どころ
1分34秒
解説の書き起こしと出典
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歌川広重が安政4年(1857年)に描いたこの一枚は、江戸末期という激動の時代に生きた人々の、ごく穏やかな一日を切り取っています。1 画面手前に広がる満開の桜。広重が得意とした鮮やかな色彩は、当時ヨーロッパから輸入されたばかりの新顔料「ベロ藍」によって支えられており、その表現力は後の印象派の画家たちをも魅了しました。2,3 中央に盛り上がるなだらかな緑の丘、これが「目黒新富士」と呼ばれる築山です。北方探検家としても知られる近藤重蔵が、自身の別邸に築いたものでした。4当時、富士山を模した塚を詣でる「富士講」は庶民に広く親しまれており、この丘はその信仰と行楽の場として賑わいました。5 丘の頂に立つ小さな人影をご覧ください。彼らが見上げる先には—— 遠く雪を頂いた本物の富士山が、静かに浮かんでいます。5築山と本山、二つの富士を一枚に収めた構図こそ、広重が見せたかった江戸の「見立て」の粋です。6
出典(6)
- 1.ToMuCo 東京都ミュージアムコレクション: 名所江戸百景 目黒新富士 — 本作は江戸時代末期の安政4年(1857年)4月に制作された、19世紀の作品である。
- 2.Wikipedia — 作品に見られる鮮やかな青色は、欧米で「ヒロシゲブルー」と称賛された。これは当時輸入された「ベロ藍」という新しい顔料によるものである。
- 3.Wikipedia — 広重の色彩や構図は、19世紀後半のフランスの印象派やアール・ヌーヴォーの画家たちに影響を与え、世界的なジャポニスム流行の一因となった。
- 4.国立国会図書館 錦絵でたのしむ江戸の名所: 目黒新富士 — 目黒新富士は、文政2(1819)年に北方探検家や書物奉行を務めた近藤重蔵によって、自身の別邸に築かれた。
- 5.nippon.com 浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」目黒新富士 — 富士講で賑わった目黒の築山(富士塚)と、本物の富士山、そして満開の桜が描かれている。
- 6.富士山世界遺産国民会議 富士山 芸術と文化の山 — 歌川広重は、富士山を題材とした作品を残した数多の画家の中でも、葛飾北斎と並んで特に有名な存在として位置づけられている。
