Agrippina Landing at Brundisium with the Ashes of Germanicus
Benjamin Westこの作品について
描かれているもの
描かれているのは、毒殺の疑いがある英雄ゲルマニクスの遺灰を運ぶ未亡人の姿です。この事件はローマ中を揺るがし、容疑者の総督が裁判中に自殺に追い込まれるほどの大スキャンダルでした。[1]
技法と様式
背景の神殿は、建築家ロバート・アダムが調査したクロアチアのディオクレティアヌス宮殿の遺跡図録を参考に描かれています。当時の最新の考古学的発見が、画面構成に即座に反映されています。[1] アグリッピナとその子供たちの姿は、実在の古代ローマの祭壇「アラ・パキス」の浮き彫りをモデルにしています。古典の造形をそのまま絵画に転生させる、徹底した考古学的アプローチが取られました。[1] 本作は18世紀における「高貴な悲しみ」の模範とされました。感情を抑制した静かな表現は、後のヴィクトリア朝で流行する情熱的で激しい悲しみの表現とは対照的な美学を持っています。[1]
背景と物語
この作品は、ヨーク大主教が夕食の席で歴史書タキトゥスを朗読し、画家のウエストに解説したことがきっかけで誕生しました。食事中の会話から、新古典主義を代表する名作が生まれたのです。[1] 作品に感銘を受けた国王ジョージ3世は、即座に次の制作を依頼。これを機に、ウエストはその後長年にわたり国王のために計60点もの作品を描き続けるという、異例の出世を遂げました。[1] 1768年に発表され絶賛を浴びた本作は、翌1769年に開催されたロイヤル・アカデミー(王立芸術院)の記念すべき第1回展覧会を飾る目玉作品となりました。[1] 縦約1.6メートル、横約2.4メートルという巨大なキャンバスに描かれています。この圧倒的なスケールは、英雄の死を悼む国家的な葬送の重みを視覚的に伝えるための演出でした。[1] 当時、国王ジョージ3世の母を巡る宮廷内の政治闘争があり、この絵は彼女を貞淑なアグリッピナになぞらえるプロパガンダとして利用されました。芸術が権力闘争の道具となった象徴的な例です。[1] アグリッピナの帰還という物語は、この絵が登場するまでは美術史においてほとんど注目されていなかった無名の主題でした。ウエストの作品が、この歴史的場面を劇的な美談として定着させたのです。[1]