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美術館展覧会
Henri Matisse

Artist

Henri Matisse

France, 1869–1954

作品(4

年表

1889

20歳で盲腸炎の療養中に母から絵具を贈られたことが、マティスの画業の始まりでした。法律家を目指していた彼は、この時「楽園のようなもの」を見出し、父の反対を押し切って芸術の道へ進む決意をしました。1

1891

象徴主義の画家ギュスターヴ・モローに師事したことは、大きな転機となりました。モローは伝統に縛られず、自らのビジョンに従うよう教え、後の野獣派(フォーヴィスム)の精神的な土台を築く助けとなりました。1

1896

1896年にジョン・ラッセルと出会い、印象派やゴッホの色彩理論を学んだことで、マティスの作風は一変します。それまでの地味な土色を捨て、鮮やかな色彩を大胆に駆使する独自のスタイルへと進化しました。1

1902

1902年、妻の家族が金融スキャンダルに巻き込まれ、マティスは7人の家族を養う唯一の稼ぎ手となりました。この苦境期、彼は売れる絵を描くために、一時的に暗く落ち着いた写実的な作風を採用しています。1

1904

ポール・シニャックの論文に影響を受け、一時期は点描による分割主義を追求しました。1904年の『豪華・静寂・逸楽』はその代表作で、後のフォーヴィスムへと繋がる色彩の解放への重要なステップとなりました。1

1905

激しい批判にさらされていたマティスを救ったのは、ガートルード・スタイン夫妻でした。彼らが問題作『帽子の女』を買い取ったことで、マティスは自信を取り戻し、経済的な困窮からも脱することができました。1

1905年のサロン・ドートンヌで、批評家が彼の激しい色彩を「野獣(フォーヴ)」と呼んだことが、フォーヴィスムの由来です。自然の色に囚われない主観的な色彩表現は、当時の美術界に大きな衝撃を与えました。1

1917

1917年に南仏ニースへ移住すると、作風はより穏やかで装飾的なものへと変化しました。1920年代のこのスタイルは、フランス絵画の古典的伝統を継承するものとして、批評家からも高い評価を得ました。1

1930

晩年、病で筆を握ることが困難になったマティスは、色を塗った紙をハサミで切り取る「切り紙絵」という技法を生み出しました。単純化された形態と鮮烈な色彩が融合した、彼の芸術の到達点と言えます。1

出典

  1. [1]en.wikipedia.org

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