
Artist
Jean-Honoré Fragonard
作品(3)
年表
南仏のグラースで手袋職人の息子として生まれました。6歳でパリへ移住しましたが、晩年は革命の混乱を避けて再び故郷に戻り、従兄弟の家を装飾画で彩りました。1
18世紀フランスを代表する画家ブーシェに師事し、その様式を完璧に習得しました。師の作品の複製を任されるほど、若くして卓越した技術を持っていました。1
1752年に王立絵画彫刻アカデミーの登竜門であるローマ賞を受賞しました。イタリアへ渡る前にヴァン・ローのもとで3年間修行を積み、基礎を固めました。1
ローマ滞在中に画家ユベール・ロベールと出会い、イタリア各地を旅して風景画の着想を得ました。この時期に見た庭園や噴水の風景が、後の幻想的な作風の源泉となりました。1
ルーベンスやハルスといった巨匠から、自由で力強い筆さばきを学びました。この速筆と鮮やかな色彩感覚が、彼の作品に独特の躍動感と享楽的な雰囲気を与えています。1
歴史画の道ではなく、貴族たちの好みに合わせた風俗画の道を選びました。繊細な色彩と軽やかな筆致で、愛や官能をテーマにしたロココ様式の傑作を数多く残しました。1
代表作『ぶらんこ』は、ある貴族が愛人を描かせるために依頼したものです。当初別の画家が断った不謹慎な主題をフラゴナールが引き受け、ロココ美術の最高傑作へと昇華させました。1
ロココ様式の人気に陰りが見えると、新古典主義的なスタイルへの転換を試みました。時代の変化に敏感に反応し、自身の芸術を常に模索し続けた画家でもありました。1
妻の妹であるマルグリット・ジェラールを弟子として迎え、自身の助手としました。また、息子の Alexandre も才能ある画家・彫刻家へと成長し、芸術一家を築きました。1
フランス革命の勃発により、主要なパトロンであった貴族たちが処刑や亡命に追い込まれました。時代の寵児だった彼も困窮し、故郷のグラースへと避難を余儀なくされました。1
彼の自由な筆致と色彩表現は、後の印象派の画家たちに多大な影響を与えました。特にルノワールや、親族であったベルト・モリゾは、その様式を高く評価し継承しています。1