
Artist
Switzerland, 1879–1940
クレーにとって色彩は、初期の風刺的なモノクロ作品に見られる「悲観的な性質」からの解放であり、芸術における「楽観主義と高貴さ」の象徴でした。イタリア旅行を経て、彼は色彩の習得を生涯の課題としました。1
音楽家の両親のもとに生まれ、自身も11歳でオーケストラに招かれるほどのバイオリンの腕前でした。この音楽的素養は、後にリズムやハーモニーを重視する彼の独特な絵画スタイルに深く影響を与えています。1
1897年から1918年まで詳細な日記をつけており、自身の芸術観や私生活を記録していました。この日記は、彼の複雑な思考プロセスや作品の背景を理解するための貴重な資料となっています。1
若き日のクレーはデッサンに長けていた一方、色彩感覚の欠如に悩み「自分は一生絵画を学べないかもしれない」と吐露したこともあります。この色彩への葛藤が、後の徹底した色彩理論の研究へと繋がりました。1
1903年から1905年にかけて、風刺的なキャラクターを描いた11点の銅版画連作『インヴェンション(創意)』を発表しました。これが彼の最初の展示作品であり、初期の鋭い社会批判精神が示されています。1
1905年頃、黒く塗ったガラス板を針で削って描く実験的な技法を開発しました。この手法で父の肖像画など50点以上の作品を残しており、線に対する彼の並外れたこだわりと探究心がうかがえます。1
ピアニストのリリー・シュトゥンプフと結婚後、数年間は妻がピアノを教えて家計を支え、クレーが家事や育児をこなしながら制作を続ける「主夫」のような生活を送っていました。1
1911年にワシリー・カンディンスキーと出会い、芸術家集団「青騎士」に参加しました。クレーはカンディンスキーの明晰な思考を深く信頼し、互いにバウハウスで教鞭を執るなど生涯の友人となりました。1
クレーがバウハウスで行った講義録『造形思考』は、現代美術における重要性がレオナルド・ダ・ヴィンチの『絵画論』に匹敵すると評されています。彼は感覚的な表現を理論的に体系化しようと試みました。1