
Artist
C. F. Goldie
年表
1891
1891年、元総督ジョージ・グレイ卿が彼の静物画に感銘を受け、厳格な父親を説得して海外留学を認めさせました。この出会いがなければ、偉大な肖像画家の誕生はなかったかもしれません。1
1892
1892年頃、元ニュージーランド総督の勧めでパリへ渡り、名門アカデミー・ジュリアンで修行。徹底した写実主義とデッサンの基礎を叩き込まれ、後の緻密な肖像画スタイルの土台を築きました。1
1898
1898年に帰国後、師のスティールと共作『マオリのニュージーランド到着』を発表。ジェリコーの構図を模したこの大作は、芸術的に高く評価され、彼の画家としてのキャリアを決定づけました。1
1920
緻密な細部を描くため、鉛を含む白絵具がついた筆先を舐めて整える癖がありました。その結果、鉛中毒に侵されて体調を崩し、1920年代には一時制作活動が停滞する事態となりました。1
1930
1930年頃、総督ブレディスロー卿の励ましを受けて制作を再開。その後、ロンドンのロイヤル・アカデミーやパリのサロンに出品するなど、晩年になって再び国際的な評価を確立しました。1
1980
彼の死後、贋作師カール・シムが「C.F.ゴールディー」に改名し、合法的にその名を署名するという珍事件が起きました。これはゴールディーの作品がいかに象徴的で人気が高いかを物語るエピソードです。1
2022
彼の作品はニュージーランド美術史上、極めて高い市場価値を誇ります。2022年には、マオリの首長を描いた肖像画が約180万ニュージーランドドル、当時のレートで1億円を大きく超える価格で落札されました。1