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まとめ — ティエポロとは、何だったのか
五つの核がそろえば、もう自分の言葉で語れます。
五つの入り口を通って見えてきたものを、束ね直してみましょう。ティエポロはまず、見上げる仰視法をあやつり、平らな天井にどこまでも続く空を開いてみせました。その画面では、神話や文学の名場面が舞台のように演じられます。とりわけタッソの『解放されたエルサレム』のような物語を、彼は何度もえがきました。教会の祭壇に向かえば、伝統的な聖母子を光に満ちた幻としてあらわし、祈りへといざないます。そうした大きな仕事はどれも、素早い筆の油彩下絵から構想が練られ、二人の息子を含む工房に支えられていました。そして、これらすべてを一枚のうちにまとめていたのが、光です。影さえも光でできている——それがティエポロの様式の根幹でした。
彼はバロックの躍動感とロココの優美さを兼ねそなえ、ふるさとヴェネツィア派ゆずりの明るい色を受けつぎ、生前はヨーロッパじゅうに名をとどろかせます。けれど没後、装飾を否定する新古典主義が主流になると、その評価は急速に色あせました。それでも彼は、ヴェネツィア絵画の伝統を締めくくる最後の巨匠として記憶されています。一言でいえば、ティエポロとは——重力から解き放たれた、ヴェネツィア絵画の最後の巨匠。もう、あなた自身の言葉で語れるはずです。
出題出題されやすい語重要語地名・年号・概念・技法
出典(10)
- 1.1696年3月5日にヴェネツィアで誕生。6人兄弟の末っ子として生まれ、父親は船乗りという家庭環境であった。Wikipedia
- 2.歴史画の大家グレゴリオ・ラッザリーニに師事したが、セバスティアーノ・リッチやジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタから強い影響を受けた。Wikipedia
- 3.1719年に、ヴェネツィアの画家であるフランチェスコ・グアルディの姉と結婚し、親族関係を築いた。Wikipedia
- 4.1761年、スペイン王カルロス3世の依頼を受け、マドリード宮廷の天井画制作のためにスペインへ移住した。Wikipedia
- 5.スペイン滞在中、同じく宮廷に招かれていた新古典主義の画家アントン・ラファエル・メングスとの間に、芸術的な対立が生じた。Wikipedia
- 6.1770年にマドリードで没した。没後は新古典主義の台頭により、それまでの甘美な装飾性が否定され、彼の評価は急速に下降することとなった。Wikipedia
- 7.バロックの躍動感とロココの優美な装飾性を融合させた画風を確立し、生前はヨーロッパ全土で極めて高い名声を誇った。Wikipedia
- 8.フレスコ画の稀代の名手であり、仰視法を用いた天井画によって、宮殿や貴族の館に完璧なイリュージョン効果をもたらした。Wikipedia
- 9.初期はテネブリスムの影響を受けたが、後にティントレットやヴェロネーゼといったヴェネツィア派の伝統を継承し、それを躍動的に展開する独自の画風を築いた。Wikipedia
- 10.18世紀のイタリアを代表する偉大な画家であり、ヴェネツィア共和国における美術絵画の伝統を締めくくる「最後の巨匠」と評されている。Wikipedia