

Zuijin Teiki Emaki
Fujiwara Nobuzaneこの作品について
描かれているもの
時代によるファッションの変化も忠実に描かれています。前半の3人は優雅な水干姿ですが、後半の6人は活動的な軽衣をまとい、背中には矢を詰め込んだ「箙(えびら)」を背負っています。[1] 4人目以降の肖像では、鼻の穴まで細かく描き込まれるなど、写実性が一段と高まっています。単なる記録画を超えて、個人の生々しい存在感を伝えようとする絵師の執念が感じられます。[1] 人物だけでなく、馬の描写も非常に写実的です。それぞれの馬の毛並みや筋肉の動き、さらには馬具の細部に至るまで、当時の武士にとっての「相棒」としての姿が生き生きと描かれています。[1]
技法と様式
「似絵(にせえ)」と呼ばれる写実的な肖像画技法が使われています。それまでの理想化された顔立ちとは異なり、個人の特徴や表情をありのままに捉えようとする、当時としては画期的な試みでした。[1] 白描(はくびょう)という、墨の細い線だけで描く技法が中心です。色は馬の具足などにわずかに添えられる程度で、無駄を削ぎ落とした線が、武官たちの凛とした空気感を引き立てています。[1]
背景と物語
描かれた9人の随身のうち、最初の3人と残りの6人の間には約70年もの時代の開きがあります。平安末期と鎌倉中期の護衛官が、一つの巻物の中で時を超えて共演しているのです。[1] この絵巻は18世紀、江戸幕府を統治していた徳川将軍家の所有物でした。長らく秘蔵されてきた名品が、現在は東京の大倉集古館で、国宝として大切に守られています。[1] 縦は約29センチ、横は約2.4メートル。この細長い空間に、9人の騎馬武者が右から左へと整然と並びます。巻物を紐解くにつれ、次々と武官が現れる演出は、まるで映画のカット割りのようです。[1] 似絵の名手・藤原信実の作とされますが、最後の2人だけは筆致が大きく異なります。息子の専阿弥陀仏が手伝ったのか、あるいは別の絵師が加わったのか、今も謎が残されています。[1] 1247年という具体的な制作時期が記されています。武士が台頭する鎌倉時代、天皇を護衛する「随身」たちの姿を記録に残すことは、彼らの家系や名誉を証明する重要な意味を持っていました。[1]