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The Conquest of Belgrade

The Conquest of Belgrade

Katarina Ivanović
Date1844
Departmentcanvas
SourceWikipedia
画像出典Wikimedia Commons ・ パブリックドメイン

この作品について

描かれているもの

描かれているのは1806年のベオグラード奪還作戦です。ウズン・ミルコ率いる決死隊が、オスマン帝国の守備兵が祭礼(バイラム)を祝っている隙を突いて市内に潜入した、緊迫の瞬間を捉えています。[1]

技法と様式

美術史家はこの作品を、ジェリコーの『メデュース号の筏』と比較しています。単なる記録画ではなく、演劇的な演出や激しい斜めの構図を用いた、極めてロマン主義的な表現が特徴です。[1] 構図への批判の一方で、色彩については「刺激的」と高く評価されました。辰砂(しんしゃ)の赤、アンバー、オーカーといった力強い色調が、戦場の混沌と熱気を見事に表現しています。[1]

背景と物語

作者のカタリーナ・イヴァノヴィッチは、セルビア美術史上、最初期にして最も重要な女性画家の一人です。当時、女性が公に教育を受けるのが困難だった時代に、道を切り拓いた先駆的な存在でした。[1] 1874年、画家はこの作品を含む4点を「歴史肖像画ギャラリー」に寄贈しました。これが後のセルビア国立美術館の核となり、現在も同美術館の重要なコレクションとして収蔵されています。[1] 画家は制作にあたり、実際にベオグラードの戦跡を訪れ、生存者から聞き取り調査を行いました。さらに、当時の軍服や武器を詳細に調べ上げるという、現代のジャーナリズムに近い手法を取り入れています。[1] この作品の構想は、作者がミュンヘン留学中に『セルビア人の歴史』という本を読んだことから生まれました。異国の地で自国の英雄的な歴史に触れたことが、創作の強い動機となったのです。[1] 1870年代までには、彼女の存在はセルビア国内でほとんど忘れ去られていました。晩年は不遇でしたが、死の直前にセルビア学術協会の名誉会員に選ばれ、ようやくその功績が認められました。[1] 完成した作品は当時の批評家から「構図が未熟」と酷評されました。この挫折による失望が、彼女がセルビアを離れる大きな要因の一つになったと言われており、画家の人生を左右した悲劇的な一作です。[1] 当時、ウィーンの美術アカデミーは女性の入学を認めていなかったため、彼女は「特別学生」として個人教授を受ける形で技術を習得しました。逆境の中で磨かれた才能の結晶と言えます。[1]