Saint Jerome Writing
Caravaggioこの作品について
描かれているもの
画面右下には注文主マラスピーナの紋章が描き込まれており、彼が教皇艦隊の提督を務めた輝かしい経歴を持つ人物であったことを示唆しています。[1] 注文主マラスピーナは猛将である一方、孤児や未亡人を助ける慈善活動家でもあり、絵には騎士団の禁欲的な側面が投影されています。[1]
技法と様式
盗難時にキャンバスが切り取られたため、本作は深刻な損傷を負いました。現在の姿は、奪還後の緻密な修復作業を経てようやく取り戻されたものです。[1]
背景と物語
1984年、本作は聖ヨハネ准司教座聖堂から盗み出されました。大胆にもキャンバスが枠から切り取られるという、衝撃的な手口でした。[1] 2022年、マルタ中央銀行はこの絵画をデザインした3ユーロ硬貨を発行。レリーフ版とカラー版の2種類が、わずか5000枚ほど鋳造されました。[1] 盗難から2年後、マリアス・ゼラファ神父が犯人グループと粘り強い電話交渉を重ねた末、この傑作は奇跡的に奪還されました。[1] 殺人を犯し逃亡中だったカラヴァッジョは、教皇の赦免を得るための足がかりとして、騎士団の本拠地マルタへと渡りこの聖人を描きました。[1] ナポリでの大成功を捨ててまで、カラヴァッジョは追っ手から逃れるため、そして騎士団の威光を借りるために、絶海の孤島マルタへと向かいました。[1] 画面右下の紋章の主、騎士団の重鎮イッポリト・マラスピーナが注文主であり、彼自身が聖ヒエロニムスのモデルになったという説があります。[1] 注文主マラスピーナは、1565年のマルタ大包囲戦の最終局面を目撃した英雄であり、戦死した親族の供養という意味合いもこの絵には込められています。[1] 荒くれ者の「戦う修道士」が集うマルタ騎士団において、武力とは対極にある聖書の翻訳に没頭する聖人の姿が描かれたのは、ある種逆説的です。[1]
制作
当時のマルタ騎士団は「フランス外人部隊」に例えられるほど荒っぽい集団でしたが、カラヴァッジョはそこに庇護と再生の道を求めました。[1]