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Ecce Homo

Ecce Homo

Caravaggio
Date1605
Departmentoil paint
SourceWikipedia
画像出典Wikimedia Commonsパブリックドメイン

この作品について

描かれているもの

聖書の物語を描きながら、ポンティオ・ピラトはカラヴァッジョと同時代の17世紀の役人の服装をしています。この時代錯誤な演出は、物語を観客の身近なものにする意図がありました。[1] キリストを虐げる拷問者の表情には、サディズムと「哀れみ」が混ざり合っています。悪人を単なる怪物として描かない、カラヴァッジョ特有の心理的リアリズムが表現されています。[1]

技法と様式

1954年の修復は非常に「侵襲的」なものでした。キャンバスの四辺に数インチの布を継ぎ足し、表面に影を書き加えたため、長年真作かどうかの判断を困難にさせました。[1]

背景と物語

制作中の1605年、カラヴァッジョはモデルの女性「レナ」を巡って公証人を襲撃し、ローマから逃亡しました。彼の私生活は、常に暴力と法的なトラブルの連続でした。[1] 本作の完成直後の1606年、カラヴァッジョは決闘の末に相手を殺害し、死刑判決を逃れるためにローマを脱出。二度と戻ることのない流浪の旅が始まりました。[1] 戦時中に行方不明とされていた本作は、1953年にジェノヴァのドゥカーレ宮殿で再発見されました。この発見が、カラヴァッジョ研究における真作論争の幕開けとなりました。[1] 第二次世界大戦まで、この傑作はジェノヴァの航海学校の階段に掛けられていました。当時は弟子レオネッロ・スパーダによる単なる「コピー品」として目録に記載されていました。[1] 依頼主のマッシミ枢機卿は、カラヴァッジョを含む3人の画家に互いが競合していることを伏せたまま同じ主題を依頼しました。結局、枢機卿はライバルのチーゴリの作品を選んだと伝えられています。[1] 2003年の最新修復では、X線や赤外線反射率測定などの最新技術を駆使。その結果、多くの専門家がこの作品をカラヴァッジョの真筆であると確信するに至りました。[1] 1605年、カラヴァッジョは喉と耳を負傷する謎の事件を起こしました。本人は「自分の剣の上に倒れた」と主張しましたが、実際は喧嘩による負傷だったと考えられています。[1]

Images courtesy of partner museums. All artworks are in the public domain.