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美術館展覧会
Death of the Virgin

Death of the Virgin

Caravaggio
Date1604
Departmentcanvas
SourceWikipedia
画像出典Wikimedia Commonsパブリックドメイン

この作品について

描かれているもの

聖母はむくんだ足、だらりと垂れた腕など、神聖さのかけらもない「生々しい死体」として描かれました。当時の人々にとって、聖母がこれほど無残な姿で表現されるのは前代未聞のスキャンダルでした。[1] 悲しみに暮れる使徒たちの顔は、あえて隠されたり影に沈んだりしています。カラヴァッジョは表情に頼るのではなく、うなだれる背中や沈黙のポーズによって、声なき深い絶望を表現することに成功しました。[1] 画面上部を覆う巨大な赤い布は、劇的な舞台装置のような役割を果たしています。この強烈な赤色が、静まり返った死の場面に圧倒的な緊張感と、血の通った人間としてのドラマを付与しています。[1] 聖母の頭上には、極めて細い糸のような後光が描かれているだけです。伝統的な宗教画にあるような豪華な装飾を排除し、あえて「ただの死」として描くことで、逆説的に深い悲しみを強調しています。[1]

背景と物語

この作品はかつて、処刑された英国王チャールズ1世のコレクションの一部でした。王の処刑後、共和制政府によって売却され、最終的にルイ14世の手に渡ってフランス王室の至宝となりました。[1] 教会に拒絶されたこの傑作を救ったのは、巨匠ルーベンスでした。彼はこの作品を「カラヴァッジョの最高傑作の一つ」と絶賛し、マントヴァ公に購入を強く勧めたことで、作品は散逸を免れました。[1] この絵が完成した直後、カラヴァッジョはテニスの試合後の乱闘で殺人を犯し、ローマから逃亡しました。彼は二度とローマに戻ることなく、この大作が公に展示される様子を見ることもありませんでした。[1] 聖母のモデルに、カラヴァッジョの愛人だった娼婦を起用したという説があります。このあまりに不謹慎な選択が、依頼主である教会が作品の受け取りを拒否した大きな理由の一つとされています。[1] 当時のカトリック教会では、聖母は死なずに天に昇ったとする「被昇天」の信仰が一般的でした。しかし、カラヴァッジョはあえて「死」そのものを描き、教会の教義や期待を真っ向から裏切ったのです。[1] ローマを離れる際、この絵はわずか2週間弱だけ公開されましたが、模写は厳格に禁止されていました。その革新的な表現が外部に漏れることを防ごうとした、異例の措置だったと言われています。[1]

Images courtesy of partner museums. All artworks are in the public domain.