Communion of Saint Jerome
Domenichinoこの作品について
描かれているもの
師匠のカラッチが死を象徴する「頭蓋骨」を描いたのに対し、ドメニキーノは聖ジェロームの象徴である「ライオン」を画面左下に配置し、独自の象徴体系で師との差別化を図りました。[1] 聖ジェロームの姿は師の作品とほぼ瓜二つですが、ドメニキーノはあえてポーズを左右反転させ、腕を広げさせることで、より劇的で感情に訴えかける構図へと昇華させています。[1]
背景と物語
ライバルのランフランコから「アゴスティーノ・カラッチの盗作だ」と公に告発されました。このスキャンダルは、ドメニキーノの輝かしい名声に生涯消えない影を落とすことになります。[1] ドメニキーノにとって初めての公共祭壇画の依頼であり、報酬は240スクードでした。完成まで2年を費やしたこの野心作は、彼の最高傑作であると同時に、最大の苦悩の種となりました。[1] 巨匠プッサンやアンドレア・サッキは、この作品をラファエロの最高傑作『キリストの変容』に匹敵する、世界で最も優れた絵画の一つであると高く評価し、ドメニキーノを擁護しました。[1] 盗作告発の裏には、別の教会の仕事を巡る激しい受注争いがありました。ライバルを蹴落とすために、過去の作品との類似性をスキャンダルとして利用した政治的な攻撃でもあったのです。[1] 評論家マルヴァジーアは「盗まない画家などいるのか? 腕を曲げ、顔を変えて巧みに盗みを隠しているだけだ」と述べ、模倣が当たり前だった当時の創作慣習を逆説的に暴露して擁護しました。[1] この作品を巡る論争は、単なる盗作騒ぎを超え、「過去の巨匠を模倣することは芸術的な敬意か、それとも単なる盗みか」という、美術界における伝統的な価値観を問う大論争に発展しました。[1] 18世紀の哲学者シャフツベリ卿は、かつての盗作疑惑など意に介さず、この作品を「世界で最も素晴らしい絵画」と断言し、その純粋な芸術的価値を絶賛しました。[1] 盗作騒動による悪評や健康不安、あるいは法的なトラブルから逃れるように、ドメニキーノは1631年にローマを去りナポリへ向かいました。スキャンダルは彼の後半生の活動拠点をも変えたのです。[1]