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Cardinal of Portugal's Altarpiece

Cardinal of Portugal's Altarpiece

Piero del Pollaiuolo
Date1467
Departmentpanel
SourceWikipedia
画像出典Wikimedia Commons ・ パブリックドメイン

この作品について

描かれているもの

聖人の足の間を覗くと、アルノ川の渓谷が細密に描かれています。これは単なる背景ではなく、北方の写実主義を取り入れた、イタリアにおける初期の風景描写の傑作とされています。[1] 聖人たちが立つ足元の円盤は、大理石や斑岩などの超高級石材を模しています。これは礼拝堂の床のデザインと連動しており、古代ローマの皇帝のような威厳を演出する仕掛けです。[1] 聖ジェームズの足元には、当時の最先端ファッションだった宝石付きのフェルト帽が置かれています。聖人の威厳よりも、亡き王子の華やかな宮廷生活を偲ばせるディテールが際立ちます。[1]

技法と様式

当時のイタリアでは極めて珍しい「油彩」が使われています。亜麻仁油を用いた技法は、フランドル絵画の影響をいち早く取り入れたポッライオーロ兄弟の先駆的な試みでした。[1]

背景と物語

26歳という若さで亡くなったポルトガル王子のための祭壇画です。彼は大司教になるには若すぎたため、名目上の「永久管理者」という異例の肩書きでフィレンツェに客死しました。[1] 現在、サン・ミニアート・アル・モンテ教会の礼拝堂にあるのは複製です。本物はその美しさと歴史的価値を守るため、ウフィツィ美術館のコレクションとして厳重に保管されています。[1] 王族でありながら、枢機卿自身にはこの豪華な礼拝堂を建てる資金がありませんでした。制作費の多くは、ブルゴーニュ公妃であった彼の叔母イザベラが密かに援助したものです。[1] 枢機卿ジェームズは15歳の時、父が戦死した戦いで捕虜になるという波乱の人生を送りました。この絵の聖人たちは、そんな彼の数奇な運命と、若すぎる死を悼むために選ばれた守護聖人です。[1] 誰が描いたかを巡り、500年以上論争が続いています。かつては兄アントニオの作とされましたが、近年の研究では弟ピエロの単独作とする説が有力になり、美術館のラベルも書き換えられています。[1]

制作

礼拝堂の設計は、フィレンツェにいながら数世紀前のラヴェンナにある「初期キリスト教様式」を復活させようとしたもの。当時の共和国の流行に逆行する、極めて野心的な復古主義の結晶です。[1]