Artist
Parmigianino
年表
1503
1503年パルマ生まれ。本名はフランチェスコ・マッツォーラですが、「パルマから来た小さい子」を意味するパルミジャニーノの通称で親しまれ、18歳で祭壇画を完成させるなど早熟な才能を発揮しました。1
1521
パルマのサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会での仕事を通じて、巨匠コレッジョと出会いました。コレッジョの流麗なフレスコ画の技法は、若きパルミジャニーノの様式形成に強い影響を与えました。1
1524
1524年にローマへ渡ると、教皇クレメンス7世に謁見しました。その際、伝記作家ヴァザーリからは、あまりの才能に「ラファエロの再来」とまで称賛され、ローマの芸術界で大きな注目を集めました。1
1527
1527年の「ローマ劫掠」という歴史的悲劇が、彼の順調なキャリアを断絶させました。戦火を逃れてボローニャへ移住せざるを得なくなり、この事件は彼の人生における大きな転機となりました。1
1534
彼の様式は「洗練された官能性」と、極端に引き伸ばされた身体表現が特徴です。マニエリスム初期を代表する画家であり、代表作『長い首の聖母』はその独特な美学を象徴しています。1
1535
晩年は錬金術に没頭し、本業の絵画制作を疎かにするようになりました。一説には版画の新しい技法を探求するためだったとも言われますが、この執着が原因で教会の仕事が滞り、トラブルを招きました。1
1539
教会との契約不履行により、2ヶ月間投獄されるというスキャンダルに見舞われました。出所後も制作は進まず、最終的には別の画家に交代させられるという、不名誉な結末を迎えました。1
1540
1540年、わずか37歳という若さでこの世を去りました。遺言により、カサルマッジョーレの教会に「裸の体にイトスギの十字架を置いた姿」で埋葬されるという、劇的な最期を遂げています。1