
Artist
Max Klinger
年表
クリンガーはカール・グッソーに師事し、ベルリンでクリスチャン・クローグとスタジオを共有しました。ゾラやフローベールといったフランスの自然主義文学から、都市生活の暗部を描く影響を受けました。1
1881年に発表した版画連作『手袋のパラフレーズ』で一躍有名になりました。スケート場で拾った手袋をめぐる夢想を描いたこの作品は、フロイトに先んじてフェティシズムの心理を表現したと評されます。1
1883年からパリに滞在し、彫刻の制作を開始しました。この時期に代表作となる『ベートーヴェン像』の構想を練り始め、後の彼の芸術活動において彫刻が主要な位置を占める転機となりました。1
版画連作『ある一生』では、売春という社会問題や中産階級の偽善をテーマに扱いました。これはドイツの芸術家として、社会の不条理や女性の困窮を正面から描いた先駆的な試みの一つです。1
1889年から1893年までローマに滞在し、イタリア・ルネサンスの巨匠や古代彫刻を研究しました。この時期、解剖学や裸体表現、量感の把握を深め、自身の芸術スタイルをより強固なものにしました。1
著書『絵画と線描』の中で、版画は独自の芸術的役割を持つべきだと主張しました。自然主義と新理想主義を調和させることが可能であるという彼の理論は、デ・キリコら後世の画家に影響を与えました。1
作曲家ブラームスとは20年来の親交があり、1894年に版画集『ブラームス幻想』を出版しました。ブラームスもまた、自身の晩年の傑作『4つの厳かな歌』をクリンガーに献呈しています。1
1902年のウィーン分離派展で発表された『ベートーヴェン像』は、多色彫刻による記念碑的な作品です。音楽、彫刻、絵画を融合させた「総合芸術(ゲザムトクンストヴェルク)」の理想を体現しました。1
1906年にフィレンツェのヴィラ・ロマーナ賞を創設し、若手芸術家を支援しました。最初の受賞者はクリムト(辞退)で、後にケーテ・コルヴィッツやマックス・ベックマンらもこの恩恵を受けました。1