
Artist
Wassily Kandinsky
France, 1866–1944
作品(1)
年表
23歳の時、ロシア北部のヴォログダ地方で民族調査を行いました。現地の農家の家々を彩る鮮やかな民俗芸術に触れ、「絵画の中に入り込む」ような感覚を抱いた経験が、後の色彩豊かな作風の源泉となりました。1
30歳で法律家としての将来を捨て、芸術の道へ進みました。モスクワで見たモネの『積みわら』に衝撃を受け、対象が何かわからなくても色彩だけで感動できることに気づいたことが、抽象画への第一歩となりました。1
ミュンヘンで自身の画塾を開いた際、教え子であったガブリエレ・ミュンターと出会い、公私にわたるパートナーとなりました。彼女と共にバイエルンのムルナウで過ごした時期に、独自の抽象表現を確立させていきました。1
1903年の代表作『青騎士』では、馬に乗る人物を詳細に描くのではなく、色の連なりとして表現しました。鑑賞者が想像力で補完する余白を残す手法は、1910年代の完全な抽象画へと至る重要な過渡期を示しています。1
神智学に深く傾倒し、宇宙の創造は点から始まり、円や三角形、四角形へと展開すると考えました。著書『芸術における精神的なもの』では、幾何学的な形と精神性の結びつきを理論的に説いています。1
第一次世界大戦の勃発によりロシアへ帰国し、革命後の文化行政にも携わりました。しかし、自身の精神的な芸術観がソ連の唯物論的な社会と合わなくなり、再びドイツ、そしてフランスへと活動の場を移しました。1
1922年から1933年まで、ドイツの造形学校バウハウスで教鞭を執りました。ナチスによって学校が閉鎖されるまで、点・線・面といった基礎理論を教え、自身の芸術スタイルをより幾何学的で洗練されたものへと進化させました。1
晩年はフランスに移住し、1939年には市民権を取得しました。ナチスの迫害を逃れたパリ近郊のヌイイ=シュル=セーヌで、生涯を閉じるまで最も洗練された抽象絵画の数々を生み出し続けました。1