
Artist
Lovis Corinth
作品(4)
年表
1884年からパリのアカデミー・ジュリアンでブグローらに師事し、デッサンと女性裸体の描写を学びました。しかし、サロンでの落選が続いたことに失望し、1888年に故郷の東プロイセンへ戻りました。1
1891年からのミュンヘン時代、彼は多作ではありませんでしたが、大量の赤ワインやシャンパンを飲む酒豪として知られていました。この時期の奔放な生活は、後の結婚による安定とは対照的です。1
1902年に自身の画塾の最初の生徒だったシャーロット・ベレントと結婚しました。彼女はミューズであり精神的支柱でもあり、コリントの作品において家族生活が主要なテーマとなる大きなきっかけとなりました。1
版画制作にも精力的で、特にドライポイントとリトグラフを好みました。生涯の最後の15年間だけで900点以上のグラフィック作品を残しており、その中には60点もの自画像が含まれています。1
1911年に脳卒中で倒れ左半身が麻痺しましたが、翌年には制作を再開しました。この出来事を境に、作風は写実的なものから、より感情的で鮮やかな色彩を放つ表現主義的なスタイルへと劇的に変化しました。1
ベルリン分離派に参加し、1915年から1925年までマックス・リーバーマンの後を継いで会長を務めました。ドイツ近代美術界の重鎮として、伝統的なアカデミズムに抗う芸術運動を牽引しました。1
晩年の傑作として名高いのが、バイエルン・アルプスのヴァルヒェン湖を描いた一連の風景画です。脳卒中後の身体的な制約の中で描かれたこれらの作品は、鮮やかな色彩と躍動感に満ち、彼の画業の頂点とされます。1
ナチス政権下でコリントの作品は「退廃芸術」と見なされ、1937年には295点もの作品が公的コレクションから没収されました。そのうち数点は、ミュンヘンで開催された退廃芸術展に展示されました。1