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Fra Angelico

Artist

Fra Angelico

作品(2)

年表

1395

1395年頃、トスカーナに生まれたフラ・アンジェリコは、本名をグイド・ディ・ピエトロといいます。ドミニコ会の修道士として活動し、その清らかな画風から「天使のような修道士」と呼ばれ親しまれました。1

1417

彼は写本装飾家としての訓練も受けており、その繊細な技術は初期の作品に活かされています。また、ベノッツォ・ゴッツォリなどの弟子を育て、次世代の芸術家たちに自らのスタイルを継承しました。1

1430

彼は初期ルネサンスの先駆者であり、中世の平面的な表現から脱却し、線遠近法や立体感、解剖学的な正確さを追求しました。宗教的な主題を専門としながらも、革新的な技法を次々と取り入れました。1

1436

フィレンツェの有力者コジモ・デ・メディチの庇護を受け、サン・マルコ修道院の装飾を手掛けました。コジモは修道院内に自分専用の祈祷室を持つほど、アンジェリコの芸術と信仰を深く信頼していました。1

サン・マルコ修道院の各僧坊には、修道士たちの瞑想を助けるためのフレスコ画が描かれています。階段を上がった正面にある『受胎告知』は、その簡潔で清廉な美しさから彼の代表作として知られています。1

『キリストの降架』では、それまでの中世的な金地背景を廃し、写実的な風景描写を取り入れました。人物の表情や身振りにも多様な感情が込められ、15世紀の自然主義的な精神が色濃く反映されています。1

1439

1439年完成の『サン・マルコ祭壇画』では、聖人たちが自然な空間で語り合う「サクラ・コンヴェルサツィオーネ(聖会話)」という新形式を確立し、後のベッリーニやラファエロに多大な影響を与えました。1

1445

教皇エウゲニウス4世やニコラウス5世の招きでローマへ赴き、バチカン宮殿のニッコリーナ礼拝堂などの装飾に従事しました。教皇からフィレンツェ大司教への推薦を打診されるほど、人格的にも信頼されていました。1

1455

1455年、教皇の依頼でローマに滞在中に没し、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会に埋葬されました。彼の墓碑にはドミニコ会の修道服をまとった姿が刻まれ、今も多くの人々が訪れます。1

1982

1982年、教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福され「福者」となりました。さらに1984年には「カトリック芸術家の守護聖人」と宣言され、その信仰と芸術の融合が高く評価されています。1

出典

  1. [1]en.wikipedia.org