
Artist
Bronzino (Agnolo di Cosimo di Mariano)
About the Artist
Life
- 1563年に設立されたフィレンツェの「アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョ(芸術アカデミー)」の創設メンバーの一人として、晩年は芸術教育の振興にも尽力しました。
- フィレンツェの肉屋の息子として生まれ、本名はアニョーロ・ディ・コジモ。通称の「ブロンズィーノ」は、彼の褐色の肌や赤みがかった髪の色に由来すると考えられています。
- マニエリスム初期の巨匠ポントルモに14歳で弟子入りしました。師の影響を強く受けつつも、ポントルモの動的な表現に対し、ブロンズィーノは静寂で抑制された独自のスタイルを確立しました。
- 30代後半からトスカーナ大公コジモ1世・デ・メディチの宮廷画家として活躍しました。メディチ家の人々の肖像画を数多く描き、外交的な贈り物としての複製画制作も主導しました。
- ミケランジェロを崇拝しており、晩年の大作『聖ラウレンティウスの殉教』では、登場人物の複雑なポーズのほとんどがラファエロやミケランジェロの作品から引用されています。
Style & Technique
- 彼の肖像画は、静止した優雅さと感情を排した高慢なまでの自信に満ちた表現が特徴です。このスタイルは、その後のヨーロッパにおける宮廷肖像画の規範として1世紀にわたり影響を与えました。
- アンドレア・ドリアをネプトゥヌスに見立てた肖像画のように、実在の人物を神話の神として裸体で描く「寓意的肖像画」という、当時としては非常に珍しく魅力的な試みも行っています。
- 代表的な寓意画『ヴィーナス、クピド、愚行と時』では、道徳的な寓意という名目のもと、マニエリスム特有の洗練されたエロティシズムと複雑な構成を融合させています。