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François Gérard

Artist

François Gérard

作品(1)

年表

1770

1770年、フランス人の父とイタリア人の母のもとローマで誕生。12歳でパリの王立寄宿学校に入り、彫刻家パジューや画家ダヴィッドに師事。この国際的な背景が、後の洗練された画風の礎となりました。1

1791

新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドの愛弟子として頭角を現します。師の代表作『ル・ペルティエの肖像』の制作を助けるなど、若くしてその卓越した技術は師からも高く信頼されていました。1

1797

1795年の『ベリサリウス』や1797年の『アモルとプシュケ』で名声を確立。特にプシュケの描写に見られる優美で理想化された表現は、当時のフランス画壇に新風を吹き込み、大きな成功を収めました。1

1809

ナポレオン1世の宮廷画家となり、1809年には男爵の称号を授与されました。皇帝一家や高官たちの肖像を数多く手がけ、第一帝政期を象徴する華やかな宮廷文化をキャンバスに留める役割を担いました。1

1810

肖像画で巨万の富を得る一方、より格上とされる歴史画への情熱も持ち続けました。1810年の『アウステルリッツの戦い』などは、彼の構成力と劇的な表現への野心を示す重要な歴史画作品です。1

1815

「王の画家、画家の王」と称えられ、ナポレオン失脚後の王政復古期でもルイ18世やシャルル10世の筆頭画家として君臨。ヨーロッパ中の王族が彼の肖像画を求め、その名声は大陸全土に轟きました。1

1817

1817年の『アンリ4世のパリ入城』は、王政復古を祝う傑作として絶賛されました。しかし、この時期を境に台頭してきたロマン主義の波に苦悩し、自身の古典的なスタイルとの乖離に深く心を痛めました。1

1837

1830年の7月革命による社会の激変は、保守的な立場にいた彼に精神的な打撃を与えました。失意の中で制作を続けましたが、1837年に熱病により66歳でその輝かしい生涯を閉じました。1

出典

  1. [1]en.wikipedia.org