Menu
Alexander Roslin

Artist

Alexander Roslin

作品(1)

年表

1734

スウェーデンで海軍の製図工として修行を始めた後、宮廷画家シュレーダーに弟子入りし、リゴーやラルジリエールといったフランス肖像画の巨匠たちの影響を強く受けました。1

1752

ロココ様式の華やかさと新古典主義の傾向を融合させたスタイルで知られ、特にサテンや宝石といった豪華な質感の描写は「サテンや肌の描写ならロスリンへ」と称賛されました。1

1752年にパリへ移住すると、巨匠フランソワ・ブーシェの庇護を受け、瞬く間に社交界で流行の画家となりました。外国人ながら王立絵画彫刻アカデミーの会員にも選出されています。1

1760

初期はナティエやリゴーの影響を受けた明るく冷たい色調が特徴でしたが、1760年代からはより大胆な色彩を用いるようになり、モデルの心理的な洞察と華麗な装飾性を両立させました。1

1765

1765年には、ラ・ロシュフコー公爵一家の肖像画でジャン=バティスト・グルーズと競い、見事勝利を収めました。この成功により、フランス貴族の間での彼の名声は不動のものとなりました。1

1767

友人ペイルから贈られた金の箱を描き込んだ夫婦の二重肖像画には、「遠くにあっても近くに」という銘文が刻まれており、彼の交友関係の深さと友情を重んじる姿勢が示されています。1

1768

代表作『ヴェールを被る婦人』は、パステル画家であった妻マリー=シュザンヌを描いたものです。ボローニャ風の衣装を纏った彼女の姿は、哲学者ディドロからも絶賛されました。1

1771

外国人でありながら「スウェーデンのロスリン」として親しまれ、1771年には国王から年金とルーヴル宮殿内の居室を与えられるという、当時としては異例の厚遇を受けました。1

King Gustav III of Sweden and his Brothers
1775

1775年から2年間ロシアに滞在し、女帝エカチェリーナ2世の肖像画を制作しました。女帝は彼を宮廷に留めようと熱心に誘いましたが、ロスリンはこれを断りパリへと戻りました。1

1793

フランス革命の混乱を生き延び、多くのパトロンを失いながらも、1793年に没した際にはパリで最も裕福な芸術家であったと言われるほどの経済的成功を収めました。1

出典

  1. [1]en.wikipedia.org