
Artist
Johann Zoffany
年表
1733年ドイツ生まれ。ローマでアゴスティーノ・マスッチに師事した後、1760年にロンドンへ渡りました。当初は時計師のもとで装飾画を描いていましたが、後に王室御用達の画家として成功を収めます。1
ジョージ3世とシャーロット王妃の寵愛を受け、王室の私的な場面を描いた「会話劇(カンバセーション・ピース)」で人気を博しました。堅苦しくない親密な家族の肖像は、当時の英国で高く評価されました。1
1768年のロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立芸術院)創設メンバーの一人です。演劇界のスター、デイヴィッド・ガリックなどの肖像画を数多く手掛け、舞台の一場面を再現する手法で名声を確立しました。1
代表作『ウフィツィ美術館のトリブーナ』に見られるように、膨大な数の美術品や人物を一つの画面に詰め込む緻密な描写が特徴です。実在の人物や作品を特定できるほどの高い再現性は、当時の人々を驚かせました。1
1776年、オーストリアの女帝マリア・テレジアから神聖ローマ帝国の男爵位を授けられました。英国だけでなく、ヨーロッパ大陸の王侯貴族からもその才能を認められていた、国際的な画家だったと言えます。1
彼の描く「会話劇」には、チェロなどの楽器が登場することが多く、音楽一家や愛好家の肖像を好んで描きました。音楽家ジャコモ・チェルヴェットの肖像など、当時の文化的生活を象徴するモチーフが多用されています。1
18世紀後半の英国で、版画出版者のロバート・セイヤーと協力し、自身の作品を版画化して広く流通させました。このビジネス戦略により、彼の名声は国際的なものとなり、経済的な成功にもつながりました。1
1783年から約6年間インドに滞在し、植民地時代の情景や有力者の肖像を描きました。代表作『モルダント大佐の闘鶏』は、当時のインドの活気あふれる社会を鮮やかに記録した歴史的資料としても貴重です。1
インドからの帰路、アンダマン諸島沖で難破。生存者の間で行われたくじ引きの結果、亡くなった船員を食べるという壮絶な経験をしました。王立芸術院の会員で唯一の「人肉食経験者」という異名を持ちます。1