
Artist
Joseph-Marie Vien
作品(1)
年表
1745
1754
帰国後、彼の作風は当時の流行に合わずアカデミー入会を拒まれそうになりますが、巨匠ブーシェの猛烈な抗議によって、歴史画『ダイダロスとイカロス』での入会がようやく認められました。1
1757
1757年に画家でエングレーヴァーのマリー=テレーズ・ルブールと結婚しました。息子のジョゼフ=マリー・ヴィアン(子)も後に画家として名を成し、芸術家一家として知られるようになります。1
1776
1776年、名声の絶頂にあったヴィアンはローマのフランス・アカデミー校長に任命されました。この際、自分は若者を教えるには年を取りすぎているとして、弟子のダヴィドの同行を一度は拒んでいます。1
1789
1789年から1791年にかけて、フランス国王の首席画家の地位に就きました。彼はフランス革命によってこの職制が廃止される前の、最後の大役を担った画家として歴史に名を刻んでいます。1
1796
フランス革命で財産を失う不運に見舞われましたが、ヴィアンは屈することなく制作を続けました。80歳になった1796年には、政府主催の公開コンクールで見事に優勝を果たしています。1
1800
晩年にはナポレオン・ボナパルトからその功績を認められ、元老院議員に任命されるという栄誉を授かりました。これは当時の芸術家としては極めて異例の社会的地位でした。1
1809
1809年にパリで没したヴィアンは、フランスの偉人たちが眠るパンテオンの地下墓所に埋葬されました。これは彼が国家から受けた最高の敬意の表れと言えます。1