Artist
Bartlomiej Strobel
年表
シュトローベルは父のもとで修行を積み、プラハの宮廷画家バルトロメウス・スプランヘルの北方マニエリスム様式を継承しました。彼の歴史画には、その古風で装飾的なスタイルが色濃く反映されています。1
1618年と1624年に神聖ローマ皇帝から「特権状」を授与されました。これにより、各地のギルドの許可を得ることなく、帝国全土で自由に制作活動を行うことが認められた、極めて異例の画家でした。1
当時を代表するドイツの詩人マルティン・オーピッツと親交がありました。オーピッツは詩の中でシュトローベルの芸術を称賛しており、二人は多くのパトロンを共有する文化的な協力関係にありました。1
プラド美術館所蔵の『ヘロデ王の宴』は、宗教的主題を借りつつ、当時のヨーロッパの有力者たちの肖像を豪華な宮廷の祝宴の中に描き込んだ、彼の画業における最大かつ最も印象的な傑作です。1
三十年戦争の混乱とペストの流行を逃れるため、1634年に故郷シレジアを離れてポーランドのグダニスクへ移住しました。この移住は彼のキャリアにおいて、新たなパトロン層を獲得する大きな転機となりました。1
ポーランド王ヴワディスワフ4世の宮廷画家に任命され、王室や貴族のために多くの肖像画や宗教画を手掛けました。彼の作品の多くは、現在もポーランド国内の美術館や教会に大切に保管されています。1
プロテスタントの家庭に生まれましたが、1643年に大病を患った後、トルンのイエズス会を通じてカトリックに改宗しました。この精神的な変化は、晩年の宗教画制作にも影響を与えたと考えられています。1
彼の没年は長らく不明でしたが、近年の研究により1650年までは存命であったことが確認されています。最晩年はトルンで過ごし、50代後半まで精力的に活動を続けていたと推測されます。1