
Artist
Carl Larsson
年表
1853
ストックホルムの極貧家庭に生まれ、不遇な幼少期を過ごしました。自伝では、その環境を「コレラの温床」と表現するほど過酷なものでしたが、13歳で美術アカデミーへの入学を許され、才能を開花させます。1
1882
1882年、パリ近郊の芸術家村グレ=シュル=ロワンで、後に妻となるカリンと出会います。この出会いが転機となり、それまでの油彩画から、彼の代名詞となる明るい水彩画のスタイルへと移行しました。1
1888
妻の父から贈られた家「リッラ・ヒュットネース」は、夫妻の芸術的センスで装飾され、スウェーデンのインテリアデザインに多大な影響を与えました。現在は記念館として、当時の暮らしを今に伝えています。1
1909
1890年代の印刷技術の向上により、画集『家』が出版されると爆発的な人気を博しました。特にドイツでは、1909年に発売された画集が3ヶ月で4万部を売り上げるという、当時異例のベストセラーを記録しました。1
1915
晩年の大作『冬至の犠牲』は、縦6メートル、横14メートルに及ぶ巨大な油彩画です。彼はこれを自身の最高傑作と考えていましたが、国立美術館から受け入れを拒否され、深い絶望を味わうことになります。1
1919
晩年はうつ病や目の病、激しい頭痛に悩まされました。1919年に軽い脳卒中を起こした後、自伝の執筆に専念し、同年に65歳でこの世を去りました。1
1997
拒絶された『冬至の犠牲』は一度日本のコレクターに渡りましたが、1997年にようやく国立美術館が買い戻しました。現在では、彼が本来意図した場所で、スウェーデン美術の至宝として展示されています。1