第1章 ・ 読む
天井に空を開ける — 見上げる遠近法
見上げた天井のむこうに、果てしない空が開きます。

天井を見上げたとき、そこに絵だと分かっていても思わず息をのむ――そんな体験をつくり出したのが、ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロという画家です。1696年、ヴェネツィアで船乗りの父のもとに六人兄弟の末っ子として生まれた彼は、やがて宮殿や聖堂の広間の天井いっぱいに、本物の空がぽっかり開いたような光景を描く名手となりました。
ふつう絵画は、正面から見ることを前提に描かれます。人物の顔も体も、鑑賞者の目の高さに合わせて配置されるのが普通です。けれど天井の絵は違います。見る人は真下から見上げるのですから、同じ描き方では人物の顔がゆがんで見えたり、足ばかりが強調されたりしてしまいます。そこでティエポロが磨き上げたのが、見上げる視点に合わせて人物や空間を組み立てる技法、仰視法です。イタリア語では「ディ・ソット・イン・スー」、直訳すれば「下から上へ」という意味になります。
この考え方の証拠を、私たちはこの一枚の油彩の下絵に見つけることができます。雲の中に浮かぶ天使や神話的な存在たちは、実際にはこの絵よりずっと大きな天井に、実物大で描き移されることを想定して構想されています。小さなキャンバスの中の配置や姿勢は、天井という巨大な面に置かれたとき、まるで頭上の壁が消えて本物の空とつながったかのような、窓を開けたような効果を生み出すよう計算されているのです。こうしたスケッチは、ティエポロ自身が構図や色の実験をするための道具であると同時に、依頼主に完成イメージを見せる説明の役割も果たしていました。
天井画の本番の多くは、フレスコという技法で仕上げられました。漆喰が乾く前に絵の具を定着させなければならない、やり直しのきかない一発勝負の壁画です。仰視法という計算された技術と、フレスコという待ったなしの現場感覚が組み合わさったところに、ティエポロならではの緊張感と自由さが同居しているのです。
彼は歴史画の大家グレゴリオ・ラッザリーニに学びつつ、セバスティアーノ・リッチやジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタから強い刺激を受け、さらにティントレットやヴェロネーゼといったヴェネツィア派の伝統を自分なりに躍動的に受け継ぎました。バロックの力強い動きとロココの甘やかな装飾性を溶け合わせた画風は、生前ヨーロッパ中で絶大な評価を得ます。晩年にはスペイン王カルロス3世に招かれマドリード宮廷の天井画制作に携わりましたが、当地では新古典主義の画家アントン・ラファエル・メングスとの間に芸術観の対立も生まれました。1770年、マドリードで生涯を閉じ、その後は新古典主義の台頭とともに一時評価を落としますが、今日ではヴェネツィア絵画の伝統を締めくくる「最後の巨匠」として語り継がれています。
出題出題されやすい語重要語地名・年号・概念・技法
出典(4)
- 1.天井に実物大で完成されると、これらの作品は巨大な窓のような印象を与える効果を持っている。The Cleveland Museum of Art
- 2.作品の主題として、雲の中に浮かんでいる天使や神話的な存在が描かれている。The Cleveland Museum of Art
- 3.この作品は、ティエポロが大規模な構成のための習作として制作した、素早く描かれた典型的なスケッチの一つである。The Cleveland Museum of Art
- 4.ティエポロは、ヨーロッパ全土で数多くの天井画や装飾計画を完成させた実績を持つ。The Cleveland Museum of Art