第3章 ・ 読む
ふたつの時代のはざま — 中世はまだ生きていた
新しい時代は、古い時代をいきなり消したわけではありません。

「中世」と「近代」という言葉を聞いたとき、ぱきりと折れた木の枝のように、時代がきっぱり分かれているイメージを持つ方は多いのではないでしょうか。でも、歴史の研究者たちはこう言います。中世と近代は「千の絆」で結ばれていて、断ち切られたのではなく、ゆっくりと重心が動いただけなのだ、と。ルネサンスとはその「ゆっくりとした移行」の時間そのものでした。
ヒエロニムス・ボスという画家がいます。

15世紀の北ヨーロッパで活躍した人物で、本名はイェロニムス・ファン・アーケン。現在のオランダにあるス・ヘルトーヘンボスという町で生まれ、生涯のほとんどをそこで過ごしました。

父も祖父も叔父も兄も皆画家という家系で育ち、絵を描くことは、彼にとって空気を吸うように自然なことだったのかもしれません。
彼が13歳のとき、故郷で4,000軒もの家を焼く大火災が起きました。その凄惨な光景が、後の作品に見られる燃え盛る地獄の炎に影響を与えたと言われています。

燃える都市の地獄の風景
細部
経験が絵になる。画家とはそういう生き物なのです。
ボスの代表作『快楽の園』は、三連祭壇画という形式——三枚続きのパネル絵——で描かれています。左にエデンの園、中央に現世の快楽、右に地獄。この三幕構成が、人間の欲望と救済をめぐる壮大な問いを一枚に凝縮しています。
中央パネルをご覧ください。

中央の円形池で水浴びをする裸の人物たち
細部
無数の裸の人々が池で水浴びし、果実をむさぼり、奇妙な生き物と戯れています。しかし不思議なことに、その画面に神の姿はどこにもありません。神の目を離れた人間が、欲望のままに振る舞う世界——これはルネサンス期の「人間が主役になる」という思想が持つ、もう一つの、暗い顔です。自由は祝福であると同時に、危うさを孕んでいる。ボスはそれを画面全体で問いかけます。
右翼の地獄には、巨大な耳がナイフを突き刺しながら進む「耳の戦車」が現れます。

巨大な耳とナイフ
細部
快楽の果てに待つのは、逃れられない罰と苦しみだ——中世の信仰が絵の中でまだ生きて叫んでいるような光景です。
イタリアで花開いた古典復興や遠近法とはまるで異なる道を歩みながら、ボスは同じ時代の空気を吸っていました。新しいものと古いものが、一枚のパネルの中に同居している。それこそが、ルネサンスというはざまの時代の本当の姿です。
出題出題されやすい語重要語地名・年号・概念・技法