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美術館展覧会
Albert Marquet

Artist

Albert Marquet

France, 1875–1947

Works (3)

Timeline

1875

Mar3月26日、フランス南西部の港町ボルドーに生まれる。役所への届け出は、父が一日遅れて出したため27日になっている。1

1890

息子の画才を信じた母とパリへ移り、母はモンジュ通りで刺繍と手芸の小さな店を開く。父はボルドーに残る。1

1892

年上の画学生アンリ・マティスと出会う。生涯続く友情の始まり。1

1894

国立美術学校に入り、ギュスターヴ・モローの教室でマティスと再び学ぶ。ルーヴル美術館で昔の巨匠の絵を模写する。1

1898

師モローの死後、マティスとともに画家ウジェーヌ・カリエールが教える私設の画塾へ移る。1

1899

パリの国民美術協会のサロンに初めて出品する。1

1900

生活のため、マティスと二人でパリ万国博覧会のグラン・パレの装飾帯を描く仕事を請け負う。1

1901

独立派の展覧会(アンデパンダン展)に初めて出品する。1

1902

セーヌ河岸のトゥルネル河岸に部屋を借り、窓からノートルダム大聖堂の後ろ姿を時刻を変えて描く連作を始める。1

開廊まもないベルト・ヴェイユ画廊で、マティスと初めての二人展を開く。1

1903

家族でパリ西部のヴェルサイユ大通りへ移り、アパルトマンの窓から見下ろす屋根並みを描く。1

1904

秋のサロン(サロン・ドートンヌ)で、国が初めてマルケの作品《ビヤンクールの木々》を買い上げる。1

1905

セーヌ左岸のグラン=ゾーギュスタン河岸25番地に移り、窓から見た河岸と橋、ノートルダムの連作を描き始める。1

パリのドリュエ画廊と専属契約を結び、暮らしが安定する。1

秋のサロンで、純色を大胆に使う仲間の画家たちとともに「フォーヴ(野獣)」と呼ばれる騒ぎに加わる。仲間の中では最も穏やかな作風だった。1

グラン=ゾーギュスタン河岸
1906

May5月13日、父が亡くなる。1

Jul7月、港町ル・アーヴルに滞在し、画家ラウル・デュフィと並んで、旗で飾られた通りや港の船だまりを描く。1

Dec12月29日、《フェカンの港》を国が買い上げ、本人の希望でル・アーヴルの美術館に預けられる。のちに館長の反対で、ブルターニュのカンペール美術館へ移された。1

ル・アーヴルの縁日
ル・アーヴルの7月14日
1907

Feb2月、ドリュエ画廊で初めての個展を開く。1

Aug8月25日、画家の道をずっと支えてきた母が亡くなる。1

1908

Jan1月、マティスが引き払ったサン=ミシェル河岸19番地のアトリエに移る。以後長く、この窓からセーヌとノートルダムを描き続ける。1

1909

ドイツに滞在し、冬の終わりの港町ハンブルクを描く。1

1910

ロシアの収集家セルゲイ・シチューキンが、ドリュエ画廊でマルケの作品を何点も買う。1

1911

ノルマンディーの港町オンフルールのサン=シメオン農場に泊まり、小さな港を何枚も描く。1

1914

第一次世界大戦の総動員で、兵役不適格とされる。1

1917

芸術家支援の売り立てをきっかけに、マティスとともにジヴェルニーのクロード・モネの家へ昼食に招かれる。1

1920

初めてアルジェリアに滞在する。以後、冬をアルジェで過ごす暮らしが続く。1

1923

Feb2月10日、アルジェで作家マルセル・マルタンと結婚する。1

1925

画商ヴァルター・ハルヴォルセンの招きでノルウェーに滞在する。1

1926

ヴェネツィアの国際美術展で、15点が並ぶ。1

1931

ポン・ヌフとシテ島、ノートルダムを見渡すドーフィーヌ通り1番地の部屋を買う。理由を聞かれて「窓のためだ」と答えた。1

1934

ソ連を旅する。秋にはル・アーヴルに3週間滞在し、港に面したホテルから描く。1

1938

ストックホルムに2か月滞在し、その地で描いた作品の展覧会が開かれる。1

1940

Sepナチズムに抗議する知識人の声明に署名していたため身の危険を感じ、9月にアルジェリアへ渡る。戦争の間をアルジェで過ごす。1

1945

フランスに戻る。海軍の名誉画家に任じられる。1

1947

病に弱りながらも、雪の積もったパリの眺めを最後の作品として描く。1

Jun6月14日、パリで亡くなる。1

Sources

  1. [1]MuMa musée d'art moderne André Malraux, 展覧会「ノルマンディーのマルケ」プレス資料 (MuMa(ル・アーヴル), 2023)