キリストの「変容」と「悪霊に憑かれた少年の治癒」という、聖書の連続する二つのエピソードを一つの画面に収めるという、当時の宗教画としては極めて異例で大胆な構成を採用しています。[1] 構成のヒントは、当時の教皇の告白師アマデオの著作にあるとされます。変容を「最後の審判」の予兆、少年の治癒を「悪魔の敗北」として結びつける、深い神学的意味が込められています。[1]
1972年から行われた修復調査により、下部の数体を除いてほぼ全編がラファエロ本人の手によるものと判明しました。弟子の代筆が多いとされた説を覆し、巨匠が死の間際まで心血を注いだ証拠となりました。[1] この作品は、絵画と彫刻のどちらが優れているかを競う「パラゴーネ(芸術論争)」の象徴でもありました。ミケランジェロの彫刻的表現に対抗し、ラファエロは光と動きによる圧倒的な絵画的表現を追求しました。[1]
現在、サン・ピエトロ大聖堂にあるのは1774年に制作された精巧なモザイクの複製画です。ナポレオンに奪われるなどの数奇な運命を辿った原画は、現在バチカン美術館のピナコテカに厳重に保管されています。[1] ナポレオンはこの作品を「世界最高の画家の最高傑作」と崇め、1797年に略奪してパリへ持ち去りました。1798年のパリ入城式では、古代彫刻などと共に凱旋パレードの主役として街を練り歩きました。[1] ラファエロの遺作であり、彼が37歳で急逝した際、その遺体の枕元に掲げられました。葬儀の参列者は、未完成の部分が残るこの傑作と、動かなくなった巨匠の姿を同時に目にすることになったのです。[1] 1810年、ナポレオンとマリー・ルイーズの結婚式がルーヴル美術館で行われた際、この絵画は行列の背景として飾られました。皇帝の権威を象徴する舞台装置として、最高級の扱いを受けていたことがわかります。[1] 宿敵ミケランジェロが裏で手を貸すセバスティアーノ・デル・ピオンボとの競作として発注されました。ラファエロはこのライバルに打ち勝つため、当初の計画を大幅に変更し、登場人物を19人も増やしました。[1] 16世紀末から20世紀初頭にかけて、この作品は「世界で最も有名な油彩画」と見なされていました。現在ではモナ・リザがその地位にありますが、かつては美術界の頂点に君臨する絶対的な存在でした。[1]