舞台となったのはマドリードのプリンシペ・ピオの丘です。前日の蜂起で逮捕された数百人の市民が、夜明け前の暗闇の中で次々と銃殺されるという、凄惨な歴史的瞬間が切り取られています。[1] 処刑を行う兵士たちは顔が見えない「無機質な機械」のように描かれ、対照的に犠牲者たちは感情豊かな「崩れた不規則性」を持って描かれています。この対比が戦争の非人間性を強調しています。[1] この作品の構図は、現代の「ピースマーク」のデザインに影響を与えたほか、マネやピカソの『ゲルニカ』といった後世の反戦の名画にも多大なインスピレーションを与え続けています。[1] 中央で白い服を着て両手を広げる男は、キリストの受難を彷彿とさせるポーズをとっています。宗教的な殉教者のイメージを世俗的な犠牲者に重ねることで、戦争の悲劇をより衝撃的なものにしました。[1]
美術史家ケネス・クラークは、本作を「スタイル、主題、意図のあらゆる意味で革命的と言える最初の偉大な絵画」と評しました。伝統的な戦争画を打破した、近代美術の先駆けです。[1] 地面に置かれた四角いランタンが唯一の光源となり、犠牲者たちを劇的に照らし出しています。この演出により、闇に潜む処刑人と、光の中に晒される無抵抗な市民の対比が際立っています。[1]
本作が描くのは「ゲリラ戦」という言葉が生まれた最初の戦争、スペイン独立戦争の惨劇です。民衆の蜂起に対するフランス軍の見せしめとしての報復処刑が、生々しく記録されています。[1] ゴヤ自らが臨時政府に提案し、フランス軍追放後の1814年に制作が決定しました。自国の英雄的行為を「筆によって永続させる」という、画家の強い愛国的意志から生まれた作品です。[1] ゴヤはフランス革命の理想を支持し、ナポレオンの弟ジョゼフに忠誠を誓った立場にありながら、同胞を虐殺するフランス軍の残虐行為を目の当たりにするという、苦悩に満ちた矛盾の中にいました。[1] ゴヤがこの虐殺を直接目撃したという確かな証拠はありません。後世の伝説では現場にいたと語られがちですが、実際には想像力と報告をもとに、戦争の普遍的な恐怖を再構築した可能性があります。[1]