

描かれた二人の労働者の顔は、意図的に隠されるか背けられています。これは特定の個人を描くのではなく、過酷な労働に従事する名もなき労働者階級全体を象徴させるための、クールベの計算された演出です。[1] 70歳の老人と若者の対比は、貧困の連鎖を象徴しています。詩人ブションは、この二人を過酷な労働の「夜明けと黄昏」と呼び、逃れられない労働者の運命を表現していると評しました。[1] 当時のメディアは、労働者が履いている「木靴」を執拗に嘲笑しました。あまりにリアルで無骨な描写が、洗練を好む当時の批評家たちには耐え難いほど「野蛮」に映ったことを物語っています。[1]
クールベは「天使は見たことがないから描けない」と断言し、目の前にある現実のみを描く写実主義を貫きました。本作は、その信念を最も純粋に体現した、美術史上の記念碑的な作品と言えます。[1]
1849年に制作された本作は、1945年のドレスデン爆撃により焼失したとされています。避難車両が火災に遭い、153点もの作品と共に失われたという悲劇的な最期を遂げた、現存しない伝説の傑作です。[1] 1850年のサロンで「醜悪」だと大スキャンダルを巻き起こしました。歴史上の英雄を描くための巨大なキャンバスに、卑しいとされる貧しい労働者を等身大で描いたことが、当時の特権階級の反感を買ったのです。[1] 縦1.5メートル、横2.6メートルという巨大なサイズで描かれました。当時、この規模は王侯貴族や宗教画にのみ許されるものであり、名もなき労働者をこの大きさで描くこと自体が革命的な挑戦でした。[1] 消失した有名な本画とは別に、左右反転した構図の小さな「第2バージョン」が存在します。こちらは戦火を免れ、現在はスイスのオスカー・ラインハルト・コレクションに大切に保管されています。[1] クールベは道端で石を砕く二人組を見かけ、そのあまりの貧しさに衝撃を受けました。彼はその場で彼らを翌朝スタジオに呼び、モデルとして描くことを決めたという、衝動的な誕生秘話があります。[1] 社会主義思想家のプルードンは、この作品を「社会主義的な傑作」と絶賛しました。単なる人物画ではなく、階級社会の不条理を告発し、労働者の尊厳を訴える政治的なメッセージとして解釈されたのです。[1] クールベは手紙の中で、腰を曲げて働く老人の様子をフランス語で「courbé(曲がった)」と表現しました。これは自身の姓「Courbet」にかけた言葉遊びであり、労働者への深い共感を示しています。[1] 作品の消失には謎が残ります。1945年の爆撃で焼失したという説が一般的ですが、1988年の調査では、実は爆撃前の1944年に移送された後、行方不明になったという「ミッシング」説も提唱されています。[1]