

The Princess from the Land of Porcelain
James McNeill Whistlerこの作品について
描かれているもの
モデルのクリスティーンは当時の画家たちがこぞって描きたがった美女でしたが、彼女の父親はこの肖像画の買い取りを拒否するという皮肉な事態が起きました。[1] 額縁がないと「無造作な写真」のように見えると評されますが、ホイッスラー自身がデザインした装飾的な額縁が、作品に圧倒的な存在感を与えています。[1] 制作過程のスケッチには花が描かれていましたが、最終的な完成作からは削除されました。ホイッスラーの構図への厳格なこだわりが垣間見えます。[1]
技法と様式
着物を西洋風に羽織る女性を描いた本作は、当時のロンドンで流行した「ジャポニスム」と、18世紀フランスの「シノワズリ」が融合した独特の美学を体現しています。[1]
背景と物語
完成時、作品上部の巨大な署名が原因で購入希望者が辞退。これがきっかけで、ホイッスラーは後に有名となる「蝶の形」の署名を考案することになりました。[1] 収集家レイランドはこの絵を飾る部屋の装飾が気に入らず、ホイッスラーに改装を依頼。それが後に伝説的な「ピーコック・ルーム」へと発展しました。[1] この絵が飾られた「ピーコック・ルーム」は、部屋ごとロンドンからデトロイトへ、そしてワシントンD.C.へと海を渡り、現在はスミソニアン博物館に収蔵されています。[1] 1892年に420ギニーで落札された本作は、わずか11年後には3,750ポンド(当時の約18,000ドル)という高値でフリーアに買い取られました。[1] ホイッスラーは依頼主の許可なく部屋を徹底的に改造。この「やりすぎ」な芸術的こだわりが原因で、パトロンとの間に激しい決別を招きました。[1] 1865年のサロンでは、批評家から「子供の吐息で吹き飛んでしまいそうだ」と酷評され、現実味のない「気まぐれな空想」だと切り捨てられました。[1] ホイッスラーが南米に滞在中、彼の愛人でありミューズでもあったジョアンナ・ヒファーナンが、画家の代わりにこの作品を売却したという逸話が残っています。[1]