

騎手と馬は精緻に描かれている一方で、背景の山や建物は驚くほど粗く、未完成のまま放置されたように見えます。この「筆致のムラ」こそが、長年偽物ではないかと疑われた最大の要因でした。[1] 「ポーランドの騎手」という通称ですが、実は衣装がハンガリー風であるという指摘や、旧約聖書のダビデ王、あるいは放蕩息子を描いたものだとする説など、その正体は今も美術界最大の謎の一つです。[1] 批評家ワルデマール・ヤヌシャクは、この騎手をヨハネの黙示録の「第一の騎士」だと主張。背後の不気味な建物や遠くの火の手は、三十年戦争後の荒廃した世界を象徴しているというのです。[1] 謎に包まれた騎手の正体については、レンブラントの最愛の息子ティトゥスがモデルであるという説も1912年に提唱されました。若者の物憂げで高貴な表情がその根拠とされています。[1]
生涯で数百点の作品を残したレンブラントですが、等身大に近い馬上の人物を描いた肖像画は、本作を含めてわずか2点しか確認されていません。巨匠にとって非常に珍しい、異色のテーマといえます。[1] 1984年、専門家集団RRPが「レンブラント作ではない」と疑義を呈し、美術界に激震が走りました。現在は真作とされるものの、未完成の部分を弟子が仕上げたという説が根強く残っています。[1]
1910年、アメリカの鉄鋼王ヘンリー・フリックがこの絵を購入した際、ポーランド側は国宝級の傑作が流出することを嘆きました。現在もニューヨークのフリック・コレクションで最も重要な名品の一つです。[1] この絵はかつてポーランド最後の国王、スタニスワフ2世アウグストが所有していました。王は騎手をポーランドの軽騎兵「リソフチク」の一員と見なし、国のアイデンティティの象徴として愛でたのです。[1] 1993年、画家のラッセル・コナーは真贋論争を皮肉り、レンブラントがこの絵を描いている姿をパロディ化。偽の発見エピソードを添えて雑誌に投稿し、過熱する鑑定家たちをからかいました。[1] 異教徒の脅威からヨーロッパを守る「キリストの戦士」を描いたという説もあります。東方の武器を携え、暗闇の中を進む若者の姿は、当時のキリスト教世界における理想の騎士像を反映しています。[1]