画面の約4分の3を、何も描かれていない空が占めています。この極端な比率は、自然の広大さと神の存在を強調し、対照的に修道士の存在をいっそうちっぽけに見せています。[1] フリードリヒは、対になる作品『オークの森の修道院』の「上に」この絵を飾るよう指定しました。生を象徴する海と、死を象徴する墓地を垂直に並べることで、独自の宗教的世界観を提示したのです。[1] 描かれた修道士はフリードリヒ自身の自画像だと考えられています。彼は芸術家を「高次の聖職者」と捉えており、金髪で丸い頭部という身体的特徴も本人と一致しています。[1]
当初、水平線には2隻の帆船が描かれていましたが、フリードリヒは孤独感を強めるためにそれらを塗りつぶしました。最新の科学調査で、この「引き算」の創作プロセスが明らかになっています。[1] 伝統的な風景画の技法を無視し、奥行きを感じさせる要素を排除したこの作品は、現代の視点から「史上初の抽象画」とも評されます。19世紀初頭としては極めて過激な構成でした。[1]
作家ハインリヒ・フォン・クライストは、この絵の圧倒的な虚無感を「まるで見開いたまぶたを切り取られたかのようだ」と表現しました。視線を遮るものが何もない恐怖を言い当てた名言です。[1] 1810年のベルリン・アカデミー展で物議を醸した直後、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が即座に購入を決めました。王室のコレクションに入ったことで、作品の評価は確立されました。[1] 美術史家ロバート・ローゼンブラムは、この絵をマーク・ロスコの抽象表現主義の先駆けと位置づけました。150年の時を超え、崇高な精神性を表現する手法が共通していると指摘されています。[1] 文豪ゲーテはこの作品のあまりのミニマリズムに困惑し、「逆さまにしても鑑賞できる」と酷評しました。これは100年後の抽象画に対する批判を先取りするようなエピソードです。[1] 画家の知人女性は、この絵に描かれた「救いのない孤独」に衝撃を受け、手紙で批判しました。物語や動きが一切排除された空虚な空間は、当時の人々にとって耐えがたいほど不気味だったのです。[1]