画面の大部分は虚無的な空間で占められ、犬の体は正体不明の黒い塊に埋もれています。この極端な構図は、現代の鑑賞者に圧倒的な孤独感と、出口のない絶望を突きつけます。[1] プラド美術館の解説では、この犬は「溺れている」とされています。流砂や泥に飲み込まれ、決して届くことのない神の救済を求めて空を見上げる姿は、抗えない運命への無益な抵抗を象徴しています。[1]
ゴヤはこの作品をキャンバスではなく、自身の邸宅の壁に直接油彩で描きました。誰に見せるつもりもなく、彼が家を去ってから50年が経過するまで、その壁から剥がされることはありませんでした。[1] 犬の頭上に浮かぶ薄暗い影は、修復時の損傷か、あるいはゴヤが以前描いた別の絵を塗りつぶした跡だと考えられています。過去の記憶を塗りつぶしてまで描かれた、執念の産物と言えるでしょう。[1] 具象的な物語を排し、感情や概念を直接訴えかける本作は、西洋美術における「最初の象徴主義絵画」とも評されます。19世紀初頭に描かれたとは信じがたい、驚異的な現代性を備えています。[1]
崩れかけた壁画をキャンバスに移し替えるという、極めて困難で繊細な作業を経て、この作品は救い出されました。もし1874年に銀行家が家を買い取らなければ、この傑作は永遠に失われていたはずです。[1] 巨匠ジョアン・ミロが人生最後にプラド美術館を訪れた際、鑑賞を熱望したのはベラスケスの名作と、この「犬」だけでした。現代の画家たちにとって、この絵は一種の聖地のような存在となっています。[1] 「犬」という題名はゴヤ自身が付けたものではありません。彼はこの連作に一切の題名を残さず、死後に「沈みゆく犬」や「埋もれた犬」など、見る者の想像に委ねられた様々な名で呼ばれるようになりました。[1]
制作場所の「聾者の家」という名は、偶然にもゴヤが失聴する前の持ち主に由来します。晩年のゴヤは、この奇妙な符合の家で孤独と病に苦しみながら、壁を「黒い絵」の連作で埋め尽くしました。[1]