右端で跪く女性の極端にねじれたポーズは、ライバルだったミケランジェロの作品から着想を得たもの。ラファエロが最新の流行を取り入れようとした、野心的な試みの跡が見て取れます。[1] 聖母マリアがショックで失神する場面は、当時としては議論を呼ぶ表現でした。神聖な存在であるマリアの、人間としてのあまりに深い悲しみがリアルに描かれています。[1] 元の額縁には、依頼主バリオーニ家の紋章である「グリフィン」が彫られていました。作品の別名「パッラ・バリオーニ」も、この血気盛んな領主一族の名に由来しています。[1] キリストの亡骸を運ぶ右側の若者は、暗殺された依頼主の息子グリフォネットの肖像だと言われています。死したキリストに、非業の死を遂げた息子を重ね合わせているのです。[1]
ナポレオン軍によって1797年に略奪され、パリのルーヴル美術館に展示されていた過去があります。1815年に返還されましたが、一部のパネルは今もバチカンに残されたままです。[1] 現在、中央パネルはボルゲーゼ美術館にありますが、上部の飾りはペルージャ、下部の小絵はバチカンと、かつての巨大な祭壇画はバラバラに分断されて保管されています。[1] 凄惨な身内の殺し合い「赤い婚礼」で息子を亡くした母アタランタが、息子の供養のためにラファエロに依頼した作品です。血塗られた家族の悲劇が、この傑作の制作背景にあります。[1] ラファエロが20代前半の若き日に手がけた、ペルージャ時代最後の重要な依頼品です。この作品を通じて、彼は巨匠としての独自の成熟したスタイルを確立させることになりました。[1] 当初は静かな「嘆き」の場面として構想されましたが、ラファエロは途中で動きのある「埋葬」へと変更。物語性を高めるため、2年間で膨大な数の下絵を描き直して完成させました。[1]