ドイツ・ロマン派の巨匠フリードリヒは、生涯一度もイタリアを訪れませんでした。このシチリアの神殿図は、他人の版画を元に、想像力を駆使してドイツの仕事場で描き上げられた「偽りの風景」なのです。[1] シチリアの風景を描きながら、手前の植物はドイツでお馴染みの草木に、瓦礫は故郷のエルベ砂岩に描き変えられています。地中海の遺跡を、強引に中央ヨーロッパの情緒へと塗り替えてしまったのです。[1] 荒涼とした風景の中に佇む神殿は、古代異教の終焉を象徴しています。通常はゴシック建築を好む彼が、あえて古典的な神殿を描いたのは、滅びゆく過去への哀愁をキリスト教的ロマン主義で表現するためでした。[1]
元となった版画は明るい昼間の光でしたが、フリードリヒはそれを「夕暮れ時」の設定に変更しました。神殿そのものよりも、夕日に照らされて伸びる長い影こそが、見る者の魂に訴えかける重要な要素だと考えたのです。[1] 下書きに鉛筆と葦ペンを使い、その上に薄い絵具を幾層にも重ねる「グレーズ」技法が用いられています。これにより、鑑賞者が絵に近づいたり離れたりするたびに、光の表情が変化する不思議な視覚体験を生んでいます。[1]
1943年には、この絵はフリードリヒではなく弟子のカール・グスタフ・カルスの作品だと再鑑定された時期がありました。巨匠の真作か、弟子の模倣か、その帰属を巡って長年議論が交わされた謎多き一枚です。[1] 当時流行したイタリア派の画家たちを、彼は「色眼鏡で描いている」と痛烈に批判しました。ローマに行かず、ドイツの太陽や星に満足する「健康な目」を持つことこそが、誠実な画家の証だと信じていたのです。[1] イタリア留学を「芸術家をダメにする」と拒絶したフリードリヒは、現地に行かずとも深遠な主題を描けることを証明しようとしました。あえて旅の範囲を狭めることで、内面的な精神性を追求したのです。[1] イタリア行きを頑なに拒むフリードリヒを不憫に思ったのか、友人の画家ダールは、自身の絵の中にフリードリヒの姿をこっそり描き込み、彼を「仮想のナポリ旅行」へと連れ出しました。[1] この作品は、売れ行きが芳しくなかったゴシック様式の絵画よりも「売りやすい」という世俗的な期待を込めて制作されたという説があります。孤高の画家も、生活のために大衆的なイタリア趣味に歩み寄ったのかもしれません。[1]