

画面下部で肘をつく2人の天使(プット)は、作品全体よりも有名と言えるほど独り歩きしています。19世紀以降、ポストカードや広告、日用品の装飾として世界中で愛され、ポップカルチャーのアイコンとなりました。[1]
科学分析により、マリアの青いローブには当時金よりも高価だった天然ウルトラマリンが贅沢に使われていることが判明しています。教皇の依頼に相応しい、ルネサンス最高級の顔料が惜しみなく投入されています。[1]
1754年にポーランド王アウグスト3世が購入した際の価格は、約12万フラン。これは当時、絵画一点に支払われた金額としては数十年間にわたり世界最高額を記録し、美術市場の歴史を塗り替えました。[1] 戦後、この絵は戦利品としてモスクワのプーシキン美術館へ運ばれ、約10年間もドイツを離れていました。1955年にスターリンの死後、東ドイツとの友好の証として返還されるまで、国際的な論争の的でした。[1] 第二次世界大戦後、ソ連軍は「膝まで水に浸かりながら兵士がこの絵を救出した」という英雄的な物語を宣伝しました。しかし後に、実際には空調管理された乾燥したトンネルで発見されたという「嘘」が暴かれています。[1] 1849年の革命時、無政府主義者バクーニンは「プロイセン軍もラファエロを撃つ勇気はないはずだ」として、この絵をバリケードに掲げるよう提案しました。芸術の聖域性を盾にしようとした驚きのエピソードです。[1] 文豪ドストエフスキーはこの作品を「人類の精神における最大の啓示」と称賛しました。彼はドレスデンを訪れるたびにこの絵の前に立ち尽くし、自身の小説執筆においても深い精神的影響を受けたとされています。[1] この絵を前にして宗教的な恍惚状態に陥る鑑賞者が続出し、「スタンダール・症候群」のような現象を引き起こしたと言われています。フロイトの患者の中にも、この作品に心を奪われトランス状態になった者がいました。[1] 画家コレッジョはこの作品を初めて見た際、「私だって画家だ!」と叫んだという伝説があります。ラファエロの圧倒的な筆致が、同時代の巨匠にさえ強烈な対抗心とインスピレーションを与えた瞬間を物語っています。[1] アウグスト3世はこの傑作を最高の状態で鑑賞するため、自らの玉座を移動させたという逸話が残っています。一国の王が芸術作品のために自らの権威の象徴を動かしたという、異例の熱狂ぶりを示しています。[1]